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103系にはがっかりしましたよ

 投稿者:客車  投稿日:2017年10月10日(火)05時54分52秒
  クモイ103さんのカキコの通り"駅間の短い山手線用として高加減速性能を追求"のキャッチフレーズで登場しました。
そこで登場当時にどの程度の高加速なのか知りたくて、京浜東北線の73系との完全同時発車の機会が来るのをうかがっていました。
機会が来たのは新橋駅での完全同時発車で、当方の山手線は内回り、京浜東北線は北行。
結果は流行歌走れコウタローの如く、スタートダッュで出遅れる、どこまで行っても離されるで、奇跡や神がかりは無く1馬身差で有楽町駅にゴールイン。
そこでキャッチフレーズは嘘、103系は73系以下の性能と判明した次第です。
高加速だったら東急の5000系青ガエルの方が一枚上でして、渋谷駅発車時には高加速で体が後方に持って行かれるので手すり等に捕まっていました。
もっとも5000系は車体断面が丸くなっている関係で室内から見てドアの下部が内側に回り込んでいるので、ドアのそばに立つと足がドア下部のナナメになっている部分に当たって立っていられないのには閉口しました。


 
 

Re: 大阪環状線103系引退

 投稿者:クモイ103  投稿日:2017年10月 8日(日)21時59分12秒
  大阪環状線の103系引退は、珍しくマスコミで大きく報じられましたね。
(昨今殺伐とした話題が多いのでメディアもこういう話題が欲しかったのかな?)

私と103系の出会いは幼少時、京浜東北線のちゃいろいでんしゃに乗って田端まで行くと
「やまてせん」に出会います。当時はきいろいでんしゃときみどりのでんしゃが走っていて、
形式が違うなんて事は知る由もありませんでした。

そもそも103系は、オールM設計の夢破れた101系が所期の性能を発揮できなかった事を受け、
1963(昭和38)年、MT比1:1を前提に開発された形式でした。
ただし駅間の短い山手線用として高加減速性能を追求したため、高速性能は犠牲になりました。

やがて地元にも新型のみずいろのでんしゃが登場し、就学前の幼児だった私は喜び勇んだものでした。

京浜東北線においても、従前の73系5M3Tに比べれば103系6M4Tは高速性能も遜色なく、
たちまち主力形式になりました。

ただ、次いで投入された京阪神緩行線や常磐快速線では状況が変わります。
長い駅間を連続高速走行するのは、短距離スプリンターの103系にとっては苦手な種目です。
その後も次々に増えた投入線区は必ずしも103系本来の性能に合致した所ばかりでない中、
見事に“適材適所”となったのが、山手線と線路条件が似通っている大阪環状線でした。

故郷の山手線では早い時期に10両化で6M4Tとなり、その後1988年に運転が終了しました。
しかしそれから30年近く、設計当初のMT比1:1のまま、
大都会の重通勤線区で走り続けたことは奇跡的と言えるかもしれません。
そんな「103系本来の姿」を残していた大阪環状線からの勇退は、感慨深いものがあります。
 

大阪環状線103系引退

 投稿者:ED76109  投稿日:2017年10月 7日(土)00時14分22秒
   ご無沙汰しております。「ED76109」であります。

 客車の話題ではないのですが、本校のN君から「教頭先生は103系には乗ったことがあるのですか。」と、今日聞かれたことで、「山手線」でさんざん世話になった想い出を披露しました。本日は、久々の戯言を三題ほど。どうぞ、おつきあい願います。


 1 山手線の「73系」の後継として、まず「101系」が投入されてから数年後に登場したのが「103系」であったように記憶しています。乱暴なドアの開閉だった「101系」とは異なり、スマートな感じで閉まるドア。そして、低音を響かせながら、加速していくECの滑らかな走り・・・。そして、屋根にクーラーが搭載された時は、「国鉄の通勤電車には冷房がないじゃないか」との私鉄ファンの友達に、「どうだ」と胸を張ったモノでした。
   しかし、「でも、真ん中の4両は冷房が効いてないじゃないか」と言われてしまった時は思わず絶句。確か、前方・後方の3両ずつが「冷房車」であり、ラッシュ時はかえって蒸し暑かったとの逸話があったはずであります。


 2 以前、「クモイ103」様との与太話に、「田町・田端間の併走風景」がありました。小生の記憶では、「品川」を出ると小生が乗った「ウグイス103系」をオーバーパスしてきた「ブルー103系」が、「田町」のフォームに先に滑り込んできて、先発していく姿が印象にございます。「浜松町」「新橋」・・・と差が開くばかりで、いつもがっかりしていたものでした。
   たまに、見学旅行の引率の自主研修日にお世話になっても、現在でも「京浜東北線」がスイスイといった感であり、快速運転であるにせよ「山手線がんばれ!!」と思わず、拳を握ってしまう自分に苦笑してしまう始末であります。


 3 北海道の教員としての旅立ちを決意して、「上野」から「盛岡行のやまびこ」にお世話になった春の日、田端付近で切り通しの桜花をバックにした「103系」が目に飛び込んできました。夕焼けの中、映えた103系の「緑」と桜の「桃色」に見とれた時、「やまびこの車中」に流れたのは「春のうららの隅田川~♪」の一節で始まる「花」。当時「東北新幹線」は、停車駅の案内放送ごとに曲が設定されており「上野」は「滝廉太郎(?!)」氏の「花」だった記憶がございます。
   小生、その時の「103系の美しい光景」に、こみ上げてくる感動を今でも忘れることができません。「兎を追った山」も「小鮒を釣った川」もありませんが、ふるさと「東京」の原風景がそこにありました・・・。


  長々と失礼しました。京橋駅で、「保育園と会社休んで来た」と語っていたお父さんと号泣する息子さんの姿が流れた映像に、思わず「オレンジ103系、お疲れ様でした」の思いを強くした「教頭客車鉄ちゃん」でありました(また、ECの話、失礼いたしました)。 
 

DL 大樹

 投稿者:雑魚  投稿日:2017年 9月22日(金)17時59分16秒
  御無沙汰しております。竹中様が御利用だったであろう「大樹」を撮りに行って来ました。
図らずも「鉄道ダイヤ情報」誌の最新号の如き作風ですが、学生時代定番の道内急行への
オマージュの意味もあり、撮影対象は飽く迄、後追い撮りでの「DL大樹」でした。
 

SL大樹の14系

 投稿者:竹中@ノーブルジョーカー  投稿日:2017年 9月14日(木)22時59分9秒
  10日の日曜に友人達とSL大樹に乗ってきました。
国鉄、JR東海、JR四国と渡り歩いた14系ですが、ストッパーのない簡易リクライニングシートが
現役でした。
大型荷物置場や便所・洗面所もオリジナルの姿を保っており、ちょっとしたタイムトラベル気分
です。
なお、JR北海道から東武入りした14系の消息がありませんが、部品取りになっているそうで、
営業に使うことはないようです。
 

ご無沙汰しています

 投稿者:ED76109  投稿日:2017年 8月10日(木)20時23分11秒
    お暑うございます。「ED76109」であります。

 伊達の武者まつりのボランティアが終了して、やっと「夏休み」といったところです。
 さて、その手伝いの最中に、生徒の一人が「教頭先生は、鉄ちゃんだって言う話はホントですか?」と話してきた3年生の男子生徒が。そんな話をなぜ知っているのか、尋ねました。「地理の□□先生が言ってました。本当に教頭先生は、『オロハネ10』に乗ったことがあるのですか?」と逆に聞かれる始末です。本校の「地理の□□先生」は、北見ご出身でかなりな「鉄」であり、授業中に「教頭先生だけには負けたくない」と宣言したのだとか。いゃーあ、楽しかったですね。生徒のN君は「14系PC」が大好きで、「急行ニセコ」に興味津々なのだとか。たまたま、シフトが同じで「山線経由の旧客鈍行やDD51牽引のPCニセコ」の話で、休み時間は大盛り上がり・・・。「就職はJRかい?」と尋ねましたが、N君曰く「教頭先生、だったらJR貨物に就職した方が、まだ将来性がありますよ。」とのこと。叔父さんが、長年「洞爺駅」に勤務していたとのことで、「鉄」の道を歩んでいるとのことであり、「夏休み後に、『教頭先生の想い出話』を是非聞かせてください」と、○○君と約束したところであります。

 長々と失礼しました。以上、○○君から、「就職試験の模擬面接」を依頼されてしまった「教頭客車鉄ちゃん」でありました。

 

14系500番台到着を確認

 投稿者:きむ  投稿日:2017年 7月30日(日)00時01分32秒
  去る7月26日、所用でタイ国鉄東線の284列車に乗車(こちらも客車列車でしたので別途報告します)したのですが、その時、途中のシラチャ駅で14系500番台が構内に留置されているのを確認しました。
そこで、本日は休みとなりましたので、早速現地へ確認に行ってきました。
←チャチュンサオ方向(北)  サタヒップ/レムチャバン方向(南)→
オハ14 507-スハフ14 509-スハフ14 555-スハフ14 556 オハ14 508-オハ14 510-スハフ14 551

スハフ14 556とオハ14 508は間隔を開けて留置。他の車は連結されているものの、幌はつながれておらず。
現車に表示されている紙によると、10輛輸入されたようですが、シラチャに留置されているのは7輛だけでした。
残りの3輛の所在が気になります。

何はともあれ、「はまなす」で馴染みの番号に南国で再会できたのは感慨深いものがありました。これからどんな使い方をされるのか楽しみなところであります。
写真はオハ14 507他、とスハフ14 551他。
 

黒磯の儀式・完全廃止

 投稿者:太田拓也  投稿日:2017年 7月11日(火)17時06分6秒
  10月14日のダイヤ改正で黒磯駅の交直切り替え設備が廃止され、
駅北方にデッドセクション設置の上で黒磯~新白河間がE531系orキハ110系による運転となります。
「機関車がEH500だけになって直流機と交流機の付け替え作業がなくなり
事故の危険がある複雑な切り替え設備を維持する根拠が無くなった。」のが主な理由です。

客車列車ファンなら誰でも知ってる黒磯駅の直流機関車と交流機関車の付け替え作業、
既に寝台特急は廃止され、それも晩年はEF510によるスルー運転だったのですが
それでも昔から伝わるシステムが消えるとなると寂しいものがあります。
 

仙コリ様

 投稿者:仙ニマ  投稿日:2017年 7月 9日(日)11時51分10秒
  早々の返答、誠にありがとうございます。了  

Re:NHKひよっこの集団就職列車

 投稿者:仙コリ  投稿日:2017年 7月 9日(日)10時10分32秒
  仙ニマ様

番組は見ていなかったのでネットで検索して画像を見てみましたが、画像からわかる主な特徴として
1、2ボックスに窓3枚の、いわゆる3連窓
2、丸屋根で照明器具が1列のみで扇風機等はなし
3、背摺りが低く見え、モケット張り
4、窓枠等は木製でアルミサッシ化はされていない
といった点で、大井川のスハフ43は確かに狭窓ですが窓配置が異なり、アルミサッシである点や
座席形状など相違点が多数あります。
また、オハ31は屋根が二重屋根ですし、座席も背摺りがモケット張りではありません。

3連窓で丸屋根となると、該当するのは鋼体化客車のオハ60とオハフ60になります。
ただ座席の背摺りは板張りでモケットはなかったのですが、晩年はモケット張りに改造されていた
車両があったのか?

いずれにしても現存している車両はないので、当時を再現したセットなのか?

確かに謎の車両ですね。
 

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