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ED76109さま

 投稿者:九州のものずきヲヤヂ  投稿日:2018年 1月20日(土)20時13分0秒
  重箱の隅つついてすんまっしぇん。
「遙かなる旅路」やなくて「大いなる旅路」のはずですばってん・・・・
「遥かなる」と言えばあの種村直樹氏の名著「遙かなる汽車旅」をイメージさせられます。
 
 

健さんと鉄道映画

 投稿者:ED76109  投稿日:2018年 1月20日(土)11時44分26秒
   連投のようで失礼いたします。「ED76109」でございます。

 さて、先日小生が勤務しています高校の先生が、ご夫婦で札幌開催の「高倉健追悼展」をご覧になったことを炉辺談話にされておりました。先生曰く、「いやぁー、良かったですよ。」と感動の一言。
 そういえば、「高倉健」さんは「北の大地」に加えて、鉄道風景が似合う俳優でもあったと思っています。「鉄道員(ぽっぽや)」が有名ですが、それ以外でも色々な映像が話題となっています。今日はそのような「戯言」を述べさせてください。

 1 SLの機関士の一生を、戦争の悲劇と絡ませながら描いた力作「遙かなる旅路」。小生は主役であった「三國連太郎」さんの重厚な演技に感動したのですが、「健さん」は主役の機関士の三男(?)役で登場しました。役どころは「特急こだまの運転士」であり、駆け落ちした娘に会うために「名古屋」へ向かう三国さん達が「健さん」の運転する「こだま」で西下していく・・・といったストーリー。モノクロでしたが、181系の車内風景や新幹線開業前のトカホセの車窓風景など、なかなか見応えのある画像が展開されておりました。

 2 「網走番外地」での「森林鉄道を使った脱獄シーン」など、北海道の鉄道と「健さん」との関わりは先達の皆様方にはよくご存じのことと思います。そんな中で秀逸と考えているシーンは、「駅~station~」での「銭函駅での離別シーン」。「いしだゆかり」さん演じる妻との別れを彩ったのは、鉛色の吹雪の中を現れた「ED76500番台」が牽引する旧客鈍行。狭窓の「スハフ32」のデッキに乗り込む「いしだ」さんとの別れを不本意ながら受け入れる「健さん」。銭函の真冬のフォームを汽笛とともに去って行く「旧客レ」から、涙ながらに敬礼のポーズを取る「いしだ」さん・・・。「121レ」でしょうか、今では見ることができない珠玉のワンシーンであります。「山線」の寂れ具合と併せて、「銭函」の風景も少しモダンに変化したように思えてなりません。

 3 道東の原野が舞台となった「遙かなる山の呼び声」。「健さん」が仮の宿りに選んだのは、「旧標津線の上春別駅」近くの酪農牧場でした。「鈴木瑞穂」さん演じる兄との再会シーンは今は無き「上春別駅の待合室」。典型的な北海道の寒駅そのままのストーブとベンチの風景の中、「函館」へ戻る兄は「キハ22」のDCに乗り込んで、曇天の下「健さん」への別れを告げる・・・。小生にとっては、北の大地への憧憬を誘うワンシーンでありました。
 そして、「ハナ肇」さんと「倍賞千恵子」さんが、涙ながらに訴える言葉に号泣する「健さん」を乗せた「急行大雪」のラストシーン。雪原を走るDCを見ていると、いつも小生は胸が一杯になってしまいます。

 「新幹線大爆破」の主犯役や前述した「鉄道員の幌舞駅長」など、まだまだ数え切れないほどの名シーンを支える「鉄道風景」。懐かしい風景に是非とも注目いただきたいものです。

 長々と失礼いたしました。以上、次の異動地にワクワクどきどきの「教頭客車鉄ちゃん」でありました。
 

北の国からのご挨拶

 投稿者:ED76109  投稿日:2018年 1月 6日(土)09時27分26秒
   新年おめでとうございます。「ED76109」であります。

 今年も「客車倶楽部」の末席で、好き放題の戯言を述べさせていただければ幸甚の限りでございます。早速、当地では「帰省の利用客、3年連続減少」との「JR北海道」の前途多難のニュースも流れていますが、どうなることやら・・・。


 失礼いたします。以上、胆振西部在住の「教頭客車鉄ちゃん」でありました。
 

新生新潟駅2018

 投稿者:ひがさん  投稿日:2018年 1月 3日(水)20時20分8秒
  あけましておめでとうございます。
本年は新潟駅 新ホームが4月に共用開始され、高架化と共に1番線を残し 地平の2・3番線が廃止されるようです。
20系、24系、70系、165系、485系、583系など、
国鉄型の使用したホームがまもなく消滅します。
しかし、115系はなんとか新ホームに入線できそうです。
残念ながらNO.DO.KAは今月6・7日のさよなら運転で引退となりあと少しでしたが、
新ホーム入線は叶いませんでした。
485系はきらきらうえつの形で足を踏み入れです。
ばんえつ物語は新潟市長が新潟発着を望んでいます。
写真の平成29年12月3日 ばん物回送牽引EF81-151 が旧新潟駅では最後のEF81となりそうです。
変わりゆく新潟駅では撮影者の方々が自分を含めてかなり多く、利用者、JRの方々には迷惑を
掛けているかもしれません。ご不快があれば深くお詫びします。
私の趣味の最後の聖地、新潟駅。連続立体交差事業完了、115系引退のその日まで
撮影をお許し願いたいと深く思います。
今年もよろしくお願いします。
 

あけましておめでとうございます

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時09分37秒
  平成30年、あけましておめでとうございます。
今年はあの“ヨンサントオ”白紙大改正から50年の節目です。
国鉄の未来に夢があった最後のダイヤ改正…という人もいますが、
小学校1年生だった私は難しいことは分からず、
赤羽までの三複線化工事をわくわくしながら眺めていました。
増設された貨物線の地固めに大宮機関区の蒸機が出動したという話を
だいぶあとから聞いて、実見できなかった悔しさも思い出します。
それから半世紀、その後の国鉄よりもJRの歴史の方が長くなりました。
鉄道が辿ってきた歴史をこれからも紐解いていきます。
今年もよろしくお願い致します。
 

2018謹賀新年

 投稿者:だめおやじ  投稿日:2018年 1月 1日(月)11時11分3秒
  2018年新年あけましておめでとうございます。
久しぶりのコメントになりますが今年もよろしくお願いします。
2017年は国鉄からJRになって30年になりましたが、2018年は青函トンネル、瀬戸大橋が開業して30年になります。
青函トンネルは開業時は在来線でしたが今は新幹線になってしまいました。(在来線で一部使用もありますが)
私は青函トンネルは新幹線を通す前に在来線で通った事があります。
最初は臨時寝台特急「エルム」で通り、後に特急「はつかり」、寝台特急「北斗星」(2回)、快速「海峡」(2回、14系客車、50系客車1回ずつ)6回通りました。
新幹線になってからは通っていません。新幹線で通るのはいつになるかわかりませんが。
瀬戸大橋は車で通った事は2回ありますが列車で通った事はありません。
ただ、列車で通ろうとしたんですが、強風のため通れず断念した事はありましたが。
2018年もよろしくお願いいたします。
 

今年最後の投稿です

 投稿者:ED76109  投稿日:2017年12月30日(土)14時42分57秒
   失礼いたします。「ED76109」でございます。

 中央線の旧客レは懐かしい限りでございますね。昭和40年代の後半の乗車経験を、何度が戯言でご披露させていただきましたが、今年最後の「戯言」で自分の想い出を振り返りさせてください。

 1 昭和49年の春休みに、新宿発6:20発の「421(?)レ」にお世話になったことがあります。記憶では、後発の「ECアルプス1号」が満員であったのに、「421レ」は対照的なまでにガラガラ。最後尾の「スハフ42」のボックスを一つ占拠して、「EF64」のフォイッスルを楽しんでおりました。さすがに早春の信濃路はまだ肌寒く、「日野春」あたりから雪が舞い始めて、「姨捨」のスイッチバックは吹雪でしたね。しかし、約10時間の鈍行旅に小学生の小生は満足。ただ終着の「長野」で、確か「長野車掌区のカレチ」さんから、「上野行の『信州』は混むから、すぐにフォームに並んだ方がいい」とのアドバイスを受け、そのまま自由席の列に並んだ記憶があります。結果としては、やっと通路側に席が確保できて、立ちっぱなしを免れた始末で、ほっとした記憶がございます。それでも、夕闇迫る「横軽」を堪能したりと、「信州ワイド周遊券」を子どもながらに駆使した乗り鉄旅でありました。

 2 昭和50年3月のダイヤ改正で、「西イイ」はその役割を終えて、旧客の塒は姿を消しました。一方、山男・山女たちの山行を支えていた「425レ」が「EC仕立て」となってしまうことに「旧客を残せ」のかけ声で盛り上がったことは、先達の皆様方には駄弁であろうと思われます。その時、その熱意にほだされて誕生したのが、臨時夜行旧客レであり、上りは「臨時たてしな」として新宿に帰ってくるダイヤが設定されたと記憶しています。当時、小生はワンゲル部に入っていましたので、夏休みの「八ヶ岳合宿」の時に乗れると期待していました。しかし、顧問の先生は「混むから、アルプスの指定席を予約した」とのつれない一言。リュックを背負い、新宿駅の行列に並びながら、恨めしげに「臨時夜行レ」の列を眺めた記憶がございます。

 3 中央東線は早々に鈍行レが「EC」化されてしまいましたが、中央西線には「中津川・長野」間に旧客鈍行が昭和50年代後半にも残っていました。大学2年の春休みに、ゼミ合宿を「奈良井」で実施することが決定し、渉外だった小生が往復の旅程を任されることに。そこで、往路は「塩尻」から逆編成となる「旧客鈍行」に乗ることにしたのですが、秋田や松山出身の先輩方は、旧客に乗った途端「懐かしい」の大合唱。何でも、お二人とも通学レで利用したことがあり、様々な想い出がおありだったようで、木曽路の車窓を眺めながら、感激の面持ちでありました。

 今年最後の戯言におつきあいいただき、ありがとうございました。以上、JR北海道に就職が決定した生徒の前途を応援したい「教頭客車鉄ちゃん」でありました。
 

(お礼)飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:YU  投稿日:2017年12月26日(火)21時41分52秒
  まとめのお礼レスで失礼いたします。
EF64牽引の時期で青い客車は、スハフ42の他、確実なのはオハ353015とオハ352857の2両という感じでしょうか。

仙コリ様>
「70年代後半の客車編成」さんのサイト、暫く行かないうちに閉鎖されてしまっていました…

青列車様>
大井川のオハ35857、中央東線にいた時代があったのですね。手元の資料では出てこない番号なので、ごく短期間の所属か、貸出か何かでしょうか。

竹中@ノーブルジョーカー様>
早速拝見させていただきました。この時期の中央東線をやるには、やはりオハ35戦後型は避けて通れないことを再認識したところです…トラムウエイのオハ35を頑張って探したいと思います。
 

Re:飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:竹中@ノーブルジョーカー  投稿日:2017年12月26日(火)10時12分22秒
  YU様、皆さま

私が調べた甲府区の編成記録はノーブルジョーカーのHPの客車編成表に掲載していますので、参考にご覧ください。
甲府区はスハフ36や張り上げのオハ35がいたので、バラエティに富んでいましたが、全検切れの代替で青15号の車が転入してきました。
該当車は、仙コリ様が書かれているようにオハ353015、それに緩急車改造のスハフ422404、最後にスハフ422053を見るようになりました。
なお、飯田町区の列車は日中に新宿で見られなかったので記録がありません。
 

Re.Re:飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:青列車  投稿日:2017年12月25日(月)20時47分18秒
  ご無沙汰しております。
さて、YU様よりお問い合わせの中央東線客レの件ですが、鉄道ピクトリアルアーカイブ集の中央線関連の号でしたか、飯田町にオハ352857がいた写真があったように記憶しています。

オハ352857は、戦後製の張り上げ屋根絞り折妻スタイルの客車で、つい最近まで大井川鉄道で現役だったオハ35857です(大井川鉄道移籍にあたって恐らくは無用の長物となる電暖一式を撤去したため旧番号に戻ったものと推測します)。同車は大井川鉄道入線時点で青塗りでした(しかし車内はニス塗!そのミスマッチが[萌え]ポイントでもありました)(え?)一大勢力のオハ35一族の中では少数派の部類に入るスタイルでしたが惜しくも戦線離脱、廃車解体されてしまいました。
本来青15号塗装は近代化改装車の証で車内もデコラ張りか塗潰しが原則ですが、何故か車内が未更新車仕様そのままのものが少なくなかった様で、過去に実見した限りですが
オハ35 79(広トマ)
オハ35251(広トマ)
スハフ42301(門モシ)
があります。もう1両記憶にあるのが門サキのオハ47で確か159?だったかと…

広トマのクルマは岩徳線で運用されていたもの、門鉄局のクルマは[ながさき]号で出会ったものです。
 

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