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Re:帯色の見解など

 投稿者:スハネ30生  投稿日:2018年 7月20日(金)15時18分11秒
  クモイ103様 貴重なご意見をありがとうございます。

前々回の投稿の冒頭にも記していますが個人的推論を述べたもので、決してクモイ103様の見解を否定している訳でないことは、ご理解いただきたいと思います。

当方の鉄道趣味ですが、現在は模型製作に対象を絞っており(元来は実車の調査研究が趣味の原点です)今回のテーマに関しても模型的観点からの推論が含まれていますのでご了承ください。

クモイ103様の見解内容に関して再考した結果としまして

【1】クリーム2号はマイネ40製造時点(昭和23年)に新調されたものかが疑問です。

【2】当時の塗料は褪色しやすいのは明らかで、時間を経た場合、クリーム1号・2号どちらも
  白に近く見えていたと考えられる。 話が飛びますが、当方が幼少の頃(昭和30年代中頃)  中央線快速の101系電車でやけに色の淡い(近鉄特急のオレンジをもっと白っぽくした感じ)  車輌が編成中に数量混ざっていたことをはっきり覚えています。後年になり朱色1号の褪色が  ひどく関係者が対策に苦慮していたことを知りましたが、当時の塗料(顔料)が褪色しやす  かったのは確かだと思います。

【3】印刷物の色はあてにならない・・・例に挙げた鉄ピク・アーカイブス10号ですが、グラビア  2頁に大きなエラーがあり編集時に恣意的に色彩を変えたのは明らかです。同書の写真の色は  信頼に値しないことを改めて認識した次第です。同書のマイネ41のカラー写真はネコパブ   リッシング刊【RMライブラリー100号】にも掲載されている・・・こちらの色彩再現の方がマ  シだが、古いカラー写真の色はいずれにしても参考程度に捉えるということですね。

【4】博物館の現存車輌の信ぴょう性ですが、クモイ103様の見解から、考え直してみる必要があ  りそうです。現場スタッフにどれほど詳しい人間かいるのかということです。
   クリーム2号の塗料は調達困難(昭和39年以降の色見本台帳から抹消されているので、J   R工場に現物はなく新たに調合の必要がある)一方、クリーム1号なら直流機関車等に現行   使用している塗料なので容易に調達できるため整備の際、等級帯に使用した・・・とも思えて   きました。

いずれにしても過去の正しい事実を知ることの困難さを痛感しました。クリーム1号か2号かの
答は当方の胸にしまっておくことといたします。

 jfs様の投稿がきっかけで皆様の異なった見解を拝読する機会が持てたことは、とても有意義であったと思います。等級帯に関して疑問を抱いている方は少なからず、おられることと思います。それらの方々にも関心を持ってコメントをご覧いただけたなら、この掲示板の存在意義が有効に機能していることと思います。今後とも【客車倶楽部】の発展を願って、今回は終わりにしたいと思います。
 
 

帯色に関する最終見解

 投稿者:jfs  投稿日:2018年 7月20日(金)11時03分41秒
  こんにちは、jfsです。
スハネ30生様、クモイ103様のコメントを拝見して、お二方の見解が異なっていることに興味を
覚えましたのでもう一度私なりの見解を述べておきます。

帯色が公式には2号で「黄帯」に近い物であったという文献は確認しておりますし、過去に
クリーム帯を「黄帯」と表現した方もいましたから、その色が実際に帯色に使われたことを
否定はできませんが、実際には2号でなく1号のクリーム色が塗られていたことも十分
考えられます。
私が目撃したマイフ293(と思われる客車)に関しては、白もしくは1号のクリーム帯であった
事は確信しています。この車両は返還後の存在時期が2年であり、営業に使われた形跡も
ほとんど確認できませんし、黄色の帯色が褪色して白っぽく見えたという可能性は極めて
低いと思います。

当時実際に帯色に使われた塗料の顔料が何であったかはまだ調査しておりませんが、
クリーム帯に使われた顔料を推定するなら、クロームイエローかバリウムイエローの可能性が
高いです。カドミウムイエローは高価なので多分用いていないと思います。となると、
クロームやバリウムの黄色は紫外線に対して極めて弱く太陽光により褪色して白っぽくなる
ことは十分あり得ますから、これは全く真実は永遠の謎ということになります。


あと当時のカラー写真はコダクロームでない限り、色再現は全くあてになりません。
また仮にネガカラーであるなら、今のネガカラーのようなマスキングフィルム(オレンジ色の
ネガ)ではなく、そのようなネガからスキャンしても、まともな発色は期待できません。
星晃氏がネガカラーを使われたのかは不明ですが。

最近の鉄道ファン誌にコダクロームによる30年代のカラー写真が連載で掲載されていましたが、
コダクロームだからこそ比較的正確な色が残っているということになります。
30年代の国産フィルムなど酷い物で、50年以上経過した現在、まともな色彩が残っている方が
不思議なのです。ですから、様々な紙面で見る客車の帯色など、私は正確な物とは認識しておりません。
印刷現場でオペレータがスキャンデータをレタッチすることはありますが、発注者の意図に
反して勝手にレタッチすることは考えにくいです。

また博物館所蔵の客車の帯色が当時の物と同じと言う保証もありません。あくまで
「こうだったのだろう・・・」という域を出ない物との認識です。


スハネ30生様
キングズホビー社は当然存じておりますし、社のサイトや記事も確認しております。
この社のキットは3両保有しており、37900とあとはスハニとスロハだったと思います。
 

Re:帯色の見解など

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 7月19日(木)20時17分24秒
  jfs様

ご納得いただいたとのことなので良かったです。
今後ともよろしくお願いいたします。


スハネ30生様

お説とその根拠を伺い、理解いたしました。
改めて小生の考えを整理します。全くの対立意見となるので2日間逡巡しましたが、
ある程度ストレートにならざるを得ないことをご容赦願います。


【1】クリーム色1号の用途

色番号は実用に供された順につけられた、というのはその通りだと思います。
引用資料によれば1号の用途は天井と便洗、つまりあらゆる客車に普遍に用いられるものです。
昔から存在するこの色が筆頭に指定されたのは自然な事で、その後に登場した“1等クリーム帯”が2号になっても矛盾はありません。


【2】実際の帯色は?

小生は以前「2等の青帯が『青1号』ということは1等のクリーム帯は『クリーム色1号』なのでは?」と思っていました。
今から14年前の平成16年、まだ手持ち情報がなかった小生がこの話題を出させて頂いた時のやりとりが、当掲示板の過去ログ集で下記ページに収録されています。

主な話題(1~515)
倶楽部メモSP 主な話題
 →客車の形式・色・標記の話題
  →客車の車体色・等級帯等についての話題
   →1等車のクリーム帯(クリーム帯色の色調について・晩年に白帯に戻ったか?)

その中からJIN様のコメントを引用させて頂きます。

> 投稿者 JIN
> 投稿日 7月15日(木)20時14分40秒
> タイトル Re5:1等車のクリーム帯
>
> こんにちは.
>
> 1等車のクリーム帯ですが,知人が当時大井工場に勤めていた人に聞いたところ,クリーム1号よりも薄かったそうです.
> 昔の西武レッドアローや小田急通勤車のように,やや黄味がかったアイボリーとのこと.

このやりとりの後、前述の如く模型で「ぶどう色1号+クリーム色1号」を実際に作ってみました。
結果は白にしか見えず大失敗で、「全然違う!」と実感するに至りました。
少なくとも当時実見された一部の方が「黄色」と表現されている事実と矛盾します。

これらの事から、実際の帯色は「やや黄味がかったアイボリー」から「黄色」まで幅があったことがうかがえます。
先日も申しました様に当時の塗料は退色し易く、一定した色を保つことはできなかった、と考えるのが最も自然な事でしょう。
であれば、指定された本来の色はその幅の上限、すなわち感性次第で「黄色」と表現できるくらいの色という事になります。

それからかなり経った時、先に引用した「国鉄車両関係色見本台帳」に出会い、小生の中で結論が出ました。
1等車の帯色は本来クリーム色2号であるものの、実際の車両では退色してしまうものが多かったわけです。


【3】鉄道ピクトリアル-アーカイブスセレクション 10号 について

同書は小生も所持しておりますが、掲載されたカラー写真は表紙を含めて不自然な色調のものが多く、下記のスレッドで議論がなされています。

主な話題(1~515)
倶楽部メモSP 主な話題
→客車の形式・色・標記の話題
 →客車の車体色・等級帯等についての話題
  →国鉄客車開発記1950(掲載写真のカラーエラーについて)

要するに、「1等車の帯は白かった筈」という編集部の思い込みで印刷の色調が恣意的に調整されたのではないか、そのため他の部分まで影響を受けて全体に白っちゃけた不自然な写真になってしまったのだろう、という議論でした。

なお同スレッドの最後に「安全靴をはいたたぬき」様が一見異論を唱えられている様ですが、同氏が述べられているのは印刷会社のスキャナオペレータの事です。
「入稿時や色校正と呼ばれるやりとりの際の指示がない限り、特定部位の色調をいじる事はありえません」と述べられていますが、スレの議論は出版社の編集部のことですから、編集部が色に関して誤った認識を持っていれば、その通りの誤ったカラー写真が出来上がってしまうことになりますね。

またそもそも昭和30年に撮影されたカラーネガですから、如何に星晃氏の所蔵で保存状態が良かったとしても、撮影当時の色調が本の作製時点までそのまま保存されていたとは限らない事にも留意すべきでしょう。

【4】現存するクリーム色1号の帯を纏った車輌 について

確かにご指摘の3両は“その時代”を想像する貴重なよすがで、少なくとも雰囲気は良く整えられていますね。
しかし実物とは言っても、「色」は実物ではなくあくまで“復元”です。
特に件の帯色に関しては、今私たちが何とか得ている情報を超える確実なものを、博物館が持っていることは期待できません。
復元の考証に携わったスタッフも、市販の書籍や当時の目撃情報等から検討するしかなかったはずです。
しかも車両全体にわたっておそらく膨大な検討事項がある中で、興味のない人には些細な点である等級帯の色調を、どの程度重要視してこだわったかもわかりません。
保存車両の「色」は復元作業の結果であり、保存資料そのものではないことにも留意すべきと考えます。


ご無礼を弁えず申し訳ございません。
 

Re:帯色の見解など

 投稿者:スハネ30生  投稿日:2018年 7月18日(水)20時03分43秒
  jfs様 疑問は解消していただけましたでしょうか。

当方の見解も、個人的推論の部分もあり100パーセント確実ではありません。クモイ103様の投稿にあるとおり公式資料では【クリーム色2号が1等車の等級帯】となっていたことは当方も存じていました。しかし実車の各形式の残された写真(カラー・モノクロ)を繰り返し見ていて、ほぼ白色に近い色(褪色しやすい色)であったと推測した結果、より明度の高いクリーム色1号が塗られていたに違いないと確信した次第です。現存する3両の保存車の等級帯に塗られているのはクリーム色1号であり(時代考証を誰がされたかは不詳ですが)、T社製の展望車のHO模型の帯もクリーム1号となっているので、事実は間違いないものと考えています。(約20年間悩んだ末の結論です)
 これも当方の推測なのですが、当時の設計者だった星晃氏の思い入れとして、1等車の白帯を是非とも復活したかったと考えていたのではと思います。そこで白に若干色味を加えた等級帯色を創作して、遠目にはかつての1等車の白帯と見えるが、連合軍から指摘された際に、別の色だと言い訳できるようにしたのではないでしょうか。その場合クリーム1号が白に最も近いということになります。(一般国鉄客車の等級帯幅15cmに対して連合軍用車の帯幅は20cmなので同色でも区別は可能であったかもしれません)

 jfs様はNゲージで客車を楽しんでおられるとのことですので、旧型客車の模型を数多く発売していたキングスホビーというメーカーをご存知でしょうか。残念ながら数年前に廃業してしまいましたので模型の入手は困難と思われますが、ホームページの製品紹介には実車に関する詳しい説明も載っていました。時代別の等級帯に関しても書かれています。【キングスホビーアーカイブ】で検索すると閲覧できます。参考にしていただければ幸いです。










 

帯色の見解など。

 投稿者:jfs  投稿日:2018年 7月18日(水)11時39分9秒
  みなさんこんにちは、jfsです。
このたびは私の疑問に対し、クモイ103様、スハネ30生様、仙コリ様に詳しいご説明、
貴重な情報を戴き誠にありがとうございました。
私なりに一応の結論、見解を得ましたので、なにかスッキリした気分です。

まず、帯色に関してはクリーム帯が私の認識の黄色帯とは違って20系客車の色であったために、
目撃した車両の帯を白だと思い込んだ。
当時まだ幼い子供であった私は一等車=白帯という先入観でクリーム帯の存在を知らなかった
という事です。
従って、この時代の一等車はやはり全てクリーム帯であったという事がどうやら真実で
ありそうです。

また目撃した車両は仙コリ様がご指摘の物、つまりマイフ293であったことにほぼ間違いないと
思います。
この客車について緊急調査したところ、昭和30年の7月に返還されマイフ293となり、帯色は
クリーム1号であったこと、また31年の11月に廃車になり台枠をオシ17に転用した事などが
判明しました。従ってこの客車の存在時期が私が目撃した30年8月~31年10月の期間という
時期と見事に一致します。
他の営業用の一等寝台車は既に青帯に変更されたようで、この時期白(クリーム)帯の車両は
恐らく無かったという観点から、目撃したのはマイフ293であったとの一応の結論に達しました。

シートピッチに関してはマイ38は1140㎜と確認しました。私が話した1080mmピッチは供奉車から
一般車に改造当初のスイ38のピッチであり、冷房化と同時に前位のテーブルとその周りの4つの
回転椅子を撤去してマイ38になった時に1140㎜ピッチに改造されたことが判明、やはり1080㎜は
改造前の姿だったということで納得しました。

マイテのシートピッチに関してはスハネ30生様の説明の通り窓割り寸法と合っていなかったと
いうことで納得です。
またベンチレータに関しても調査の結果ノッペラボウであった事を確認しました。

これらの結果を持って感じるのはNゲージの模型と言う物はあまり正確な時代考証とかは
されない物だなあと思いました。
ですからやはりNゲージの完成品は走らせて楽しむ物だということですね。

では、また機会を見てこちらの客車に乗車させていただきます。ありがとうございました。
 

Re:白帯車の記憶

 投稿者:スハネ30生  投稿日:2018年 7月16日(月)23時05分0秒
  jfs様 こんばんわ

前回の投稿内容で説明不足と思われる点がありましたので、補ってみたいと思います。

戦後の1等車が復活したのは昭和23年7月のマイネ40新製時で、連合軍専用車の白帯と区別するために、淡黄色(具体的塗色名は制定なし)の帯を表示したのが最初で、その後登場した特急平和のマイテ39(1、11、21)にも同色の帯が巻かれました(星晃氏の述懐より)
淡黄色のことですが、同系色が後にクリーム色何号と制定される訳ですが、実用に供された順に1号、2号と命名されるルールになっているそうです。クリーム2号は昭和25年から横須賀線車両に塗られた色(113系以降はクリーム1号)、クリ-ム3号は同年登場の80系関西急電に塗られています。昭和25年以前に使用されていたクリーム系の色を探してみると1等車の帯以外に該当する用途が見当たりません。となればクリーム色1号が戦後最初(昭和23年)に使用された1等車の帯色であるという理論が成り立つと思うのです。(個人的見解でありますが)
 クリーム色1号は20系の帯色でもあります。近くで見た場合、明らかにクリーム色と認識できますが、遠方からは白帯と捉えられることも多いのではないでしょうか。20系のカラー写真で白帯と思われている方がいないとも限りません。EF65の前面も同色ですが、こちらは面積があるためクリーム色と認識できるのです。
 1等車に話を戻しますが、参考写真として【鉄道ピクトリアル-アーカイブスセレクション 10号】の表紙にマイネ41のカラー写真(昭和30年7月撮影)が載っておりますが等級帯は、ほぼ白色に見えます。
 なお現存するクリーム色1号の帯を纏った車輌としては、① マイテ3911(大宮鉄道博物館)、② マイネ40(名古屋リニア鉄道館)、③ マイネ40(碓氷鉄道文化村)があります。機会がありましたら訪れてみては如何でしょうか。

 シートピッチの話ですが、マイテ39の1等室のリクライニングシートは図面上1390mmです。窓割とは10mmの差があります。展望車の乗車経験がお有りとは羨ましい限りです。151系電車にも乗っておられるのですね。当方は改造後の181系(あさま・あずさ)に何回か乗車した思い出があります。

当方は模型から実物を偲んでおりますが(マイテ39、49、58各2両・・・茶色と青大将色3両ずつです)番号ごとの違いを資料に基づき、作り分けするのが醍醐味です。

お役にたてることがありましたら、今後ともお気軽に投稿いただけましたら嬉しく思います。


 
 

Re:白帯車の記録

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 7月16日(月)21時38分15秒
  jfs 様

お返事が遅くなり失礼しました。

スハネ30生様

ご無沙汰しております。


1等車の帯色についてですが、なにぶん実物を目撃していない小生が理屈だけで考えている次第ですので、まず先にご無礼をお詫び申し上げます。
要約すると2点申し上げたく存じます。

【1】公式には「2号」でした。
【2】ただし正確な事はわかりません…

【1】
先日の書き込みで言及した「国鉄車両関係色見本台帳」について、もう少し詳しくお話しします。
以前、貴重な文献・資料を多数蒐集されていた個人宅にお邪魔する機会があり、許可を得てコピーさせて頂いた資料の中に、

「国鉄車両関係色見本台帳 昭和33年3月1日現在」

がありました。
これは色の「名称」とその「おもな使用箇所」が記された一覧表で、その内容の一部を下に引用します。
なおその方は残念ながら物故され、所蔵資料はとある公共施設に寄贈され現在整理中とのことなので、画像データの公開はご容赦下さい。

・「クリーム色1号」のおもな使用箇所は、

> フ・ウ:客車、電車、気動車の天井(防火合板使用)、便洗内部
> ペ  :荷物車天井
> 防  :客車、電車の天井(合板使用)

・「クリーム色2号」のおもな使用箇所は、

> フ:横須賀線形電車の車体外部の窓回り、1等車帯色、気動車(準急用)の車体外部

となっています。ただし、
「フ」:フタル酸樹脂エナメル、
「ウ」:カシュー樹脂エナメル,ウルシオール樹脂エナメル、
「ペ」:ペイント
「防」:防火塗料

1等車の等級帯は、正式にはクリーム色2号だったことになります。

【2】
もっとも、この「○○色*号」という色の呼び方が制定されたのは昭和31年以降です。
それ以前はマンセル記号はおろかもっと原始的に、色見本板が用いられていました。
昔はそれで済むくらい色の種類が少なかった、そしてその頃を境に色の種類が増えて収拾がつかなくなってきた、という事ですね。

つまり占領期の“クリーム帯”の現物が先に存在し、後の時代になって色の乱立を防ぐため無理やり「○○色*号」の枠に当てはめたわけですから、昭和30年以前の帯色が本当に旧スカ色の窓回りや準急気動車色と同じだったという保証はありません。
ただ言えることは、少なくともクリーム色1号よりは2号に近い色だったはずです。

実際、小生は以前模型(Nゲージ)でぶどう色1号の客車にクリーム色1号の帯を巻いてみたところ、全く「白」に見えてぎゃふんとなった覚えがあります。
星晃氏は「薄クリーム色」と表現されていますが、薄クリーム色にも見えませんでした。
jfs様が言及された
> 過去の文献上クリーム帯の事を「黄帯」と表現した物も見られた
との原典と同一かどうかわかりませんが、鉄道ピクトリアル第66号(1957年1月号)の読者短信でも「黄色」と表現された方がおられることから、実際の帯色はかなり黄色がかったものだったのではないでしょうか。

次に「管理を国鉄がどのようにシビアにやっていたのか」という事になると、前述のように色見本板での管理でしたから実は全然シビアでなかったわけです。
それにもう一つ、昔の塗料は今より格段に性能が劣りすぐに退色してしまったので、輪をかけてシビアな管理など出来ない相談でした。
実際の帯色は車両ごとの状態によってまちまちとなり、中には退色してかなり白く見えるものもあったのではないかと思われます。
 

Re:白帯車の記録

 投稿者:jfs  投稿日:2018年 7月16日(月)20時18分47秒
  仙コリ様初めまして、jfsです。
貴重な情報ありがとうございます。
私が目撃したのは昭和30年の8月以降でこれは確実な事ですから、連合軍貸出車として
現役の時ではありませんね。どうやら返還後の7月以降はマイフ293になったようです。
とにかく営業列車で前後に展望車やロザを連結した編成ではなく、回送列車と思われる、
他は全て帯無しの車両だった記憶があります。
ただ帯色に関してはスハネ30生様のご指摘のようにそのマイフ293もクリーム帯に
変更された後だったかもしれません。いずれにせよこれは目撃した物はこの客車で
あったかもしれません。むしろその可能性の方が高いかもです。

信越線か、高崎線、あるいは中央線でのことでした。
 

Re:白帯車の記録

 投稿者:仙コリ  投稿日:2018年 7月16日(月)18時47分45秒
  jfs様、はじめまして。

目撃された白帯車両についてですが、私自身はその当時生まれてもいなく文献からの推測では
ありますが、「知られざる連合軍専用客車の全貌」(JTBパブリッシング)によりますと、
軍番号1705号「PORTLAND」(マイネロフ373)が講和条約発効後も貸渡車として
昭和30年7月11日まで利用されていたと記載されています。

狭窓Wルーフの寝台車という条件にも合致しますので、ご覧になった客車がこの車両である
可能性があるのではないかと思います。

ただ、スハネ30生様がお書きになっている通り、白帯は昭和27年1月の通達(占領解除)に
より逐次抹消というのが基本だと思うので、貸渡車についてどのような扱いであったのかは
不明です。

不確実な情報ですが、ひとつの可能性として参考になれば幸いです。
また、この車両の貸渡車時代の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、フォローして
いただければ幸いです。
 

Re:白帯車の記憶

 投稿者:jfs  投稿日:2018年 7月16日(月)18時41分14秒
  拝復 スハネ30生様
始めまして、jfsです。詳しいご説明ありがとうございます。
過去ログから、貴殿とは5歳違い、クモイ103様とは10歳違いと判明しました。
いずれにせよ古い時代の客車を愛する方々と出会えて大変嬉しく思います。

さて、帯色ですが、そもそもクリーム色の帯と言う物が私の感覚では2号のキハ25の準急色を
想像してしまうので、それを白と見間違うはずは無いと申しました。1号の色をはっきりと
確認したことが無いのですが、20系客車の帯の色なら、かつて見た物がその1号の帯であった
事を否定することはできませんね。
過去の文献上クリーム帯の事を「黄帯」と表現した物も見られたので、その色はキハ25の
準急色と思っていました。

そうなると、恐らくロネに格下げ後にまだ帯色の変更がなされていない車両の回送列車
であったと考えるのが最も合理的な結論かと思います、車両は多分マロネ38かマロネ49
ということになりますね。

国鉄の塗色についてはWikiなどにもマンセル記号やRGB値が発表されていますが、これを
そのまま作っても実際の車両の色にはなりません。専門的な話になりますが、塗料(顔料)は
過去においてはほとんどが金属の酸化物や硫化物などの天然顔料を用いていたため、その色の
管理を国鉄がどのようにシビアにやっていたのかも疑問です。
現代のアゾ系レーキ顔料なら粒子が細かいので塗料単体の色彩と塗装した時の色彩、それが
乾燥した後の色彩にそれほど大きな違いは出ませんが、金属顔料の場合は塗装した直後はまだ
粒子が平滑になっていないので、光の屈折率の関係で色が違って見えます。
完全に乾いて平滑になった場合とかなり色が違うので、色に関しては車両の塗装だけでなく、
かなり難しい面があります。
何れにせよ帯付きの一等車をはっきり目撃したのはその時が最初で最後なので、私的には
非常に印象深い出来事でした。

シートピッチの件は、マイ38に付いては1080㎜という認識でしたが、これは改造前のこと
なのでしょうかね。
またマイテ491のピッチは一等席のスペースに8個の窓に対して7列のシートを配したという
ことですね。どんな構造だったか見たかったですが、このエリアに7列なら1030㎜という数値は
納得できます。
あとマイテ391の2位側の一等室にもリクライニングシートが並んでましたよね。
私の持つ図面ではここも、座席と窓割りが微妙にずれている感じがしますが、ここはスペースに
余裕があるし、窓割りに合わせれば1400㎜になってかなり広いのですがどうなんでしょう。
実際には1250㎜程度だったのでしょうか。
実はこのマイテ391は現役時代に唯一乗車経験のある一等車でして、そのリクライニングシート
部分に着席しましたが、前の席との間隔が広すぎて何か落ち着かず、1位側の展望席で大半を
過ごした経験があります。窓割りと座席が合っていなかったのかは記憶にありません。

私は現在は関西住まいですが、父の実家は都内にあり、幼少期はそこに住んでいました。
しかし母の実家は関西でしたし、父も仕事の関係でしょっちゅう東海道を往復していました。
普段父は特別二等車利用でしたが、私がしつこく展望車と言ったので一度だけ乗せてもらった
ようです。

私の身長は175㎝なのですが、1160㎜ピッチの特ロはなんとなく間隔が狭く感じ、急行だいせんの
スロフ62に乗車した時には足が一杯に伸ばせこれな楽だ・・・と感じました。
そんな訳で、やはりグランクラスの1300㎜以上が本来の意味での一等車にふさわしいピッチだと
思っています。

あとベンチレータの件については改めて資料を精査したところ、マイテ492のノッペラボウ屋根を
確認しましたので、納得しました。

さて、話を模型の世界に移しますが、貴殿は70形式以上のHO客車を保有されているとのこと、
誠に素晴らしいの一言に尽きます。私は学生時代にHOの車両を何両か製作しましたが、全て
電車で客車の製造はしませんでした。なので今現在もHO模型は、電車と外国型機関車、客車
のみで日本型の客車は保有しておりません。この点非常に残念に思うのですが、最近は
目も悪くなり、自作車両やキットの組み上げをする意欲が無くなってしまって、勢いNゲージの
完成品を収集することになっています。
まあNゲージも最近はバラエティに富み、特に運転をメインに考えれば近頃の住宅事情も考慮
すればNゲージが良いのではと思っています。

ただ、客車にこだわる人にとっては、Nの客車は随分いい加減な物が多い、つまりスロ60の
青大将があったり、そのマイテ492の青大将はベンチレータ付きのままだったり、窓割りが
違ったりで、文句を言う諸兄も多いと思います。
私の場合は、そのようなこだわりは一切ありませんし、むしろ自分の好み改造して楽しみたいと
思う方なのですが、(今は青大将をマヌ34を従えたEF55で牽引させたいと思っています。)
それとは別に、実物がどうであったのかは史実として知っておく必要があると思っています。

最後に、投稿の写真は上段が父から譲り受けたつばめの特急券、下段が私が小学6年生の時、
夏休みに一人で母の実家に行った時に乗車した151系はとの特急券です。
やはり3本の赤線の入った特急券は当時からの憧れのまとで、今見ても郷愁を誘われます。

 

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