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2018謹賀新年

 投稿者:だめおやじ  投稿日:2018年 1月 1日(月)11時11分3秒
  2018年新年あけましておめでとうございます。
久しぶりのコメントになりますが今年もよろしくお願いします。
2017年は国鉄からJRになって30年になりましたが、2018年は青函トンネル、瀬戸大橋が開業して30年になります。
青函トンネルは開業時は在来線でしたが今は新幹線になってしまいました。(在来線で一部使用もありますが)
私は青函トンネルは新幹線を通す前に在来線で通った事があります。
最初は臨時寝台特急「エルム」で通り、後に特急「はつかり」、寝台特急「北斗星」(2回)、快速「海峡」(2回、14系客車、50系客車1回ずつ)6回通りました。
新幹線になってからは通っていません。新幹線で通るのはいつになるかわかりませんが。
瀬戸大橋は車で通った事は2回ありますが列車で通った事はありません。
ただ、列車で通ろうとしたんですが、強風のため通れず断念した事はありましたが。
2018年もよろしくお願いいたします。
 
 

今年最後の投稿です

 投稿者:ED76109  投稿日:2017年12月30日(土)14時42分57秒
   失礼いたします。「ED76109」でございます。

 中央線の旧客レは懐かしい限りでございますね。昭和40年代の後半の乗車経験を、何度が戯言でご披露させていただきましたが、今年最後の「戯言」で自分の想い出を振り返りさせてください。

 1 昭和49年の春休みに、新宿発6:20発の「421(?)レ」にお世話になったことがあります。記憶では、後発の「ECアルプス1号」が満員であったのに、「421レ」は対照的なまでにガラガラ。最後尾の「スハフ42」のボックスを一つ占拠して、「EF64」のフォイッスルを楽しんでおりました。さすがに早春の信濃路はまだ肌寒く、「日野春」あたりから雪が舞い始めて、「姨捨」のスイッチバックは吹雪でしたね。しかし、約10時間の鈍行旅に小学生の小生は満足。ただ終着の「長野」で、確か「長野車掌区のカレチ」さんから、「上野行の『信州』は混むから、すぐにフォームに並んだ方がいい」とのアドバイスを受け、そのまま自由席の列に並んだ記憶があります。結果としては、やっと通路側に席が確保できて、立ちっぱなしを免れた始末で、ほっとした記憶がございます。それでも、夕闇迫る「横軽」を堪能したりと、「信州ワイド周遊券」を子どもながらに駆使した乗り鉄旅でありました。

 2 昭和50年3月のダイヤ改正で、「西イイ」はその役割を終えて、旧客の塒は姿を消しました。一方、山男・山女たちの山行を支えていた「425レ」が「EC仕立て」となってしまうことに「旧客を残せ」のかけ声で盛り上がったことは、先達の皆様方には駄弁であろうと思われます。その時、その熱意にほだされて誕生したのが、臨時夜行旧客レであり、上りは「臨時たてしな」として新宿に帰ってくるダイヤが設定されたと記憶しています。当時、小生はワンゲル部に入っていましたので、夏休みの「八ヶ岳合宿」の時に乗れると期待していました。しかし、顧問の先生は「混むから、アルプスの指定席を予約した」とのつれない一言。リュックを背負い、新宿駅の行列に並びながら、恨めしげに「臨時夜行レ」の列を眺めた記憶がございます。

 3 中央東線は早々に鈍行レが「EC」化されてしまいましたが、中央西線には「中津川・長野」間に旧客鈍行が昭和50年代後半にも残っていました。大学2年の春休みに、ゼミ合宿を「奈良井」で実施することが決定し、渉外だった小生が往復の旅程を任されることに。そこで、往路は「塩尻」から逆編成となる「旧客鈍行」に乗ることにしたのですが、秋田や松山出身の先輩方は、旧客に乗った途端「懐かしい」の大合唱。何でも、お二人とも通学レで利用したことがあり、様々な想い出がおありだったようで、木曽路の車窓を眺めながら、感激の面持ちでありました。

 今年最後の戯言におつきあいいただき、ありがとうございました。以上、JR北海道に就職が決定した生徒の前途を応援したい「教頭客車鉄ちゃん」でありました。
 

(お礼)飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:YU  投稿日:2017年12月26日(火)21時41分52秒
  まとめのお礼レスで失礼いたします。
EF64牽引の時期で青い客車は、スハフ42の他、確実なのはオハ353015とオハ352857の2両という感じでしょうか。

仙コリ様>
「70年代後半の客車編成」さんのサイト、暫く行かないうちに閉鎖されてしまっていました…

青列車様>
大井川のオハ35857、中央東線にいた時代があったのですね。手元の資料では出てこない番号なので、ごく短期間の所属か、貸出か何かでしょうか。

竹中@ノーブルジョーカー様>
早速拝見させていただきました。この時期の中央東線をやるには、やはりオハ35戦後型は避けて通れないことを再認識したところです…トラムウエイのオハ35を頑張って探したいと思います。
 

Re:飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:竹中@ノーブルジョーカー  投稿日:2017年12月26日(火)10時12分22秒
  YU様、皆さま

私が調べた甲府区の編成記録はノーブルジョーカーのHPの客車編成表に掲載していますので、参考にご覧ください。
甲府区はスハフ36や張り上げのオハ35がいたので、バラエティに富んでいましたが、全検切れの代替で青15号の車が転入してきました。
該当車は、仙コリ様が書かれているようにオハ353015、それに緩急車改造のスハフ422404、最後にスハフ422053を見るようになりました。
なお、飯田町区の列車は日中に新宿で見られなかったので記録がありません。
 

Re.Re:飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:青列車  投稿日:2017年12月25日(月)20時47分18秒
  ご無沙汰しております。
さて、YU様よりお問い合わせの中央東線客レの件ですが、鉄道ピクトリアルアーカイブ集の中央線関連の号でしたか、飯田町にオハ352857がいた写真があったように記憶しています。

オハ352857は、戦後製の張り上げ屋根絞り折妻スタイルの客車で、つい最近まで大井川鉄道で現役だったオハ35857です(大井川鉄道移籍にあたって恐らくは無用の長物となる電暖一式を撤去したため旧番号に戻ったものと推測します)。同車は大井川鉄道入線時点で青塗りでした(しかし車内はニス塗!そのミスマッチが[萌え]ポイントでもありました)(え?)一大勢力のオハ35一族の中では少数派の部類に入るスタイルでしたが惜しくも戦線離脱、廃車解体されてしまいました。
本来青15号塗装は近代化改装車の証で車内もデコラ張りか塗潰しが原則ですが、何故か車内が未更新車仕様そのままのものが少なくなかった様で、過去に実見した限りですが
オハ35 79(広トマ)
オハ35251(広トマ)
スハフ42301(門モシ)
があります。もう1両記憶にあるのが門サキのオハ47で確か159?だったかと…

広トマのクルマは岩徳線で運用されていたもの、門鉄局のクルマは[ながさき]号で出会ったものです。
 

Re: 旧客時代のはやぶさ

 投稿者:クモイ103  投稿日:2017年12月25日(月)19時35分4秒
  オロハネ10 505様

はじめまして。
「はやぶさ」の旧客編成ですが、
事故や車輌トラブルでナハネ11が不足するような事態になれば
代車としてナハネ10が手配されたかもしれません。
ただその様な事象があったという話を私は聞いたことがなく、
もしあったとすれば相当の“激レア”ケースと思います。

当時の「はやぶさ」は国鉄全体で十指に満たない“特別急行列車”ですから、
その重みはとても今の「とっきゅう」の比ではありません。
車輌のメンテナンスを含め、そこに関わる職員の意気込みからして、
並の列車とは格段の差があったことでしょう。
従って、他の形式(と言ってもその時点ではナハネ10しか存在せず)が用いられることは
「無かった可能性が高い」ことを前提に考えた方が良いような気がします。

Nゲージでは現在ナハネ11の製品が発売されていないので、お気持ちはお察ししますが、
私なら、手間暇かけてオハネ12から改造するか、
またはいずれKATOが出すのでは?と淡い期待を持って待ちたいと思います。
 

Re:飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:仙コリ  投稿日:2017年12月25日(月)17時18分48秒
  YU様

1970年代以前の客車の車体色に関する資料はなかなか無いのが現状ですが、先日も参考にさせて
いただいた、残念ながら閉鎖されてしまっているサイト「70年代後半の客車編成」によると
1974年10月18日と1975年3月6日の新宿発松本行き中央東線423レに青色のオハ35 3015(西コフ)
が連結されていたようです。

私が調べることができたのはこの1両だけだったので、より詳しい情報をお持ちの方が
いらっしゃいましたら、フォローしていただければ幸いです。
 

旧客時代のはやぶさ

 投稿者:オロハネ10 505  投稿日:2017年12月25日(月)10時34分33秒
  はじめまして、オロハネ10 505と申します。
先日、マイクロエースのマロネ40が手に入り旧客時代のあさかぜを再現しようと思ったのですが編成中のナハネ11は他の寝台車が代走することはあったのでしょうか?
 

飯田町・甲府所属の青色客車について

 投稿者:YU  投稿日:2017年12月25日(月)01時11分28秒
  普段はROM専のYUと申します。
模型でEF64を購入しまして、中央東線の電暖化後の客車列車をやろうとしております

各種の資料を調べるに、中央東線の客車列車(飯田町・甲府持ち)の末期は、電暖化された茶色の32・35系が主だったようですが、「我が心の飯田線」様あたりに掲載の写真を見ておりますと、少数ですが青い客車が混ざっている場合があるようです。
さすがに数両いたスハフ42は青になっていただろうと思いますが、編成の真ん中が青い場合もあるようですし、1編成に複数の青い車が挟まっている場合もあるようなので、スハフ42以外にも青い客車があったのではないかと思えます。

もしご存知の方がいらっしゃいましたら、1970~75年ごろの飯田町・甲府配置車で、青色だった客車をご教示頂けませんでしょうか。
宜しくお願い申し上げます。
 

PFとは?

 投稿者:太田拓也  投稿日:2017年11月11日(土)18時44分18秒
  以前から疑問に思っていたのですが、EF65はFの時点でPの上位互換だったのに
Fの発展型である1000番台がPF(客貨両用)と呼ばれるのはなぜでしょうか?
改良点の大半が重連総括制御関連なので本来はFF形とでも称するべきだと思うのですが。

P形とF形が運用を特定した限定製造でその後も0番台の製造が続いたのに対して
生産ラインが1000番台に全面的に切り替わり、客車も貨物も無差別運用する
趣旨でこう呼ばれることになったということでしょうか?

追伸
昔のNゲージのブルトレセットにはPF用のスノーブラウが同梱されてましたが、
現場再現という意味ではつけない方がよかったのですね。
 

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