teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
 メール ※掲示板には表示されません(詳細)
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


Re3:マイシ37900について

 投稿者:仙コリ  投稿日:2018年10月 6日(土)07時53分43秒
  自己レスで失礼します。

クモイ103様が書かれている「1等室の窓は5個」の写真が、間違いなく一等の白帯の
時代の写真なので、マロシに格下げされたときに改造されたものではないのは明白なので、
先の書き込みの昭和10年の格下げ時の改造の可能性はありませんでした。

調べれば調べるほど各種文献に矛盾があり混乱してしまいますが、引き続き調査してみます。
 
 

Re2:マイシ37900について

 投稿者:仙コリ  投稿日:2018年10月 5日(金)23時01分6秒
  jfs 様
クモイ103 様

マイシ37900について調べてみましたが、クモイ103様が書かれておられるとおり
非常に難題でほとんどお手上げ状態なのですが、調べた範囲で一等室の定員10名との
記述については

クモイ103様も書かれている 鉄道ファン連載記事「国鉄鋼製客車7」に記述があり、
昭和10年に後藤工場と小倉工場でマロシに改造とあるので、改造されていたとすると、
この昭和10年の改造という可能性があるのかと思います。

また、鉄道ピクトリアル No.856(2011年11月号)合造車特集に記述と形式図の掲載があり、
ここに掲載されている形式図が一等室の窓が4個で「専務車掌室と喫煙室は食堂と1等室の間
にあり」という状態の図面となっており、同様に昭和10年にマロシに改造とあります。


ただし、手持ちのVC図面(VC 0418:もちろん複写ですが)を見ると、クモイ103様も
書かれているとおり、一等室の窓は5個の状態(一等室の定員13名)となっていまして、
図面の日付は昭和5年5月29日となっており、その後昭和5年から6年にかけて3回の変更点が
記載されているのに、定員の変更を伴うような改造歴は記載されておりませんので、
製造当初の図面であると思われます。
また、VC 0418より若番の図面についても、前年の昭和4年4月以降欠番もありません。

という状態で、私もクモイ103様の推測を支持しますが、一等室の窓が4個の謎の図面が
存在するのは事実ですし、一等室の定員10名と記載された文献も多数存在するので、
どちらが正しいのか…

どなたか詳しいことをお知りでしたらご教授いただければ幸いです。
 

Re: マイシ37900について

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年10月 5日(金)20時09分13秒
  jfs 様

こんにちは。
マイシ37900において製造後に改造で定員が変わったとのお話、私は初耳です。
その情報源をご教示頂く事はできませんか?



改めて手元にある情報を繰ってみました。

(1)復刻版「日本の客車」
P.122に掲載されたマイシ37903の写真では、1等室の窓は5個です。
所属標記が配属略号の「門」だけで常備駅を示すカナが記されていないことから、
これは落成当初の公式写真と考えられます。

(2)車両史編さん会「スハ32形(スハ32600)の一族(上巻)」
P.151に掲載された形式図VC0418でも、1等室の窓は5個で、喫煙室・乗務員室はありません。
定員は一等室13人、食堂18人との注記があります。
図面の右下隅にある変更履歴の最初の項目は昭和5年10月28日付けなので、
少なくともそれ以前に作成された図面であることが判ります。
何らかの改造後であるという様な記載は見当たりません。

ここまでは同車が新製当初からこの姿だったという情報ばかりです。
ところが一つ引っ掛かる記事がありました。

(3)鉄道ファン連載記事「国鉄鋼製客車7」(1962年11月号)
マイシ37900形の項目には、食堂の定員12人、1等室の定員は10人との記載があります。
「専務車掌室と喫煙室は食堂と1等室の間にあり喫煙室は2人掛で,
 そのわきに手洗器が取付けられています.」とも述べられています。
さらに次のマロシ37950形の項目には次の記述があります。
「マイシ37900形の給仕室と喫煙室を取り除き,この部分まで食堂室を広くしたため
 定員は6人増加し18人となりました.マイシ37900形よりも調理室は小さく3620mmと
 1090mm小さくなっています.」

まさに jfs 様が紹介された情報と同じですね。

ところが(3)の記事に添付されたマイシ37900形の実車写真は、
1等室窓が5個見える前述の(1)と同一と思われる写真です。
「写真:国鉄提供」との注記があることから、やはり落成時の公式写真なのでしょう。



以上、矛盾する2つの情報があるわけですが、私は今のところ次の様に推測しています。
すなわち、マイシ37900形の計画段階で給仕室と喫煙室の設置が検討され、形式図も描かれた。
しかし何らかの理由でそれが取り止められ、改めて新形式図が起こされ、実車が製造された。
ところが実現しなかった旧形式図が残っていて、情報が独り歩きしてしまった…?

給仕室と喫煙室のある形式図を見ていないのではっきりした事は言えませんが、
仮に当初それらが設けられその後撤去されたなら、窓配置に名残が残るのではないでしょうか。

ということで、現時点で私の考えは以上のようなものです。
 

マイシ37900について

 投稿者:jfs  投稿日:2018年10月 3日(水)22時28分20秒
  ご無沙汰しておりますjfsです。
さて、またしても疑問点が発覚したのですが、今回はW屋根客車では最も好みの部類に属す
マイシ37900に関してです。


私の所有する形式図によると、製造当初のマイシ37900は一等室の窓は4個で定員が
10名だったはずです。
この客車、例のキングズホビーのキットを所有しておりますが(まだ組んでいません)、
そのキングズホビーのキットや図面、四鉄局のサイトの写真、その他多くの文献の記事では
その姿がスロシ37950と全く同じ側面のようで、一等室の窓は5個で定員が13名となっています。

信頼すべき情報では昭和5年に製造後1次改造で喫煙室や乗務員室を撤去し一等室と
食堂エリアを拡張したとあります。
この時に一等室の定員が13名になったとのことですが、この改造はいつ行われたのでしょう?
各種文献には昭和10年にマロシに改装されたとの記述はありますが、1次改造のことは
全く載っていません。

この1次改造というのは、窓割りをいじるような大改造だったのでしょうか?
スロシ37950と同じ窓割りにするにはかなり大がかりだと思うのですがこの辺の
詳しい事情ご存じならお教え願います。

またこの客車製造年が昭和6年と記載のある文献もありますが、これも謎です。
 

Re6:保健車について

 投稿者:かもめ  投稿日:2018年10月 1日(月)23時26分2秒
  クモイ103様

貨物列車ですか、それは盲点でした。客車扱いだとばかり思っていました。確かに貨物列車に連結すれば、臨時列車を組む必要がないですね。

まるい様

スヤ32 3 スヤ52 4の見取り図が掲載されている資料の情報ありがとうございます。北海道大学鉄道研究会さんの「混合列車」No.14ですね。資料を調べてみたいと思います。

仙コリ様

CV図面ではなくVC図面でしたね、間違って覚えていました。さて、VC図面を手間をかけて模写し、それをお見せいただき本当にありがとうございます。
 

Re5: 保健車について

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年10月 1日(月)09時41分54秒
  まるい様

「混合列車」所載記事の情報ありがとうございます。
大学鉄研の機関誌としては有名どころですから、どこかで見る事ができるかもしれませんね。
医師は保健車と別に移動したとのことで、私の不勉強でした。

全盛期の国鉄は何でも自前でやっていましたね。
考えてみれば、江戸時代から明治時代へ移行して間もなかった鉄道創生期には、
今なら当たり前に外部調達できる様々なものを、鉄道事業者が自前で賄う必要があったのでしょう。
私鉄によくある「○○電気鉄道」という社名は「電気で走る鉄道」と捉えがちですが、
元々は「電気と鉄道」という意味で、実際に電力会社として事業活動していたとも聞いたことがあります。
そこが出発点であることを考えれば、国鉄が病院を運営していたのも納得です。


かもめ様

「VC図面」とは、国鉄の内部で作成された公式図面です。
車両全体のみならず、細かい部品や、塗装・標記類などにおよぶ膨大なものがあり、
現在は書物などでそのごく一部を見る事ができます。

仙コリ@管理人様は著作権を考慮して画像自体をアップすることは避け、
相当の手間をかけて模写したものをお見せ下さったのだと思います。
今回の2形式の図面は、ジェイズという所から平成14年に発行された
「客車形式図面集(昭和50年代)」に収録されています。
 

Re4:保健車

 投稿者:まるい  投稿日:2018年 9月30日(日)23時56分4秒
  こんばんは。先日紫雲丸の件でお世話になりました。皆様ありがとうございました。
さて、北海道大学鉄道研究会が発行している「混合列車」No.14に、山下修氏の「北海道の保健車について」とのレポートが掲載されています。昭和59年時点の道内の運用、スヤ323とスヤ524の見取り図が掲載されています。掲載見取り図では、スヤ323はレントゲンが大部分を占め、スヤ524は診察室や心電図室が設置されてます。
記事には鉄道病院の検診担当者にもお話を聞き、鉄道病院の医師は保健車と別に移動など、当時の運用について興味深い記述もあります。
「混合列車」は北海道立図書館に初期を含め所蔵されています。私もコピーしました。北大鉄研の冊子は他図書館にもあるかもしれません。
当方JR病院に通院していますが、「鉄道病院」という言葉も既に死語なんでしょうね。
 

Re3: 保健車について

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 9月30日(日)20時17分22秒
  かもめ様、はじめまして。

保健車については私も詳しくないのですが、実際の運転について今まで聞いた情報を総合すると、
車両基地と“仕事”のある駅との間はおそらく貨物列車に併結されて移動したのだと思います。

そもそも保健車の存在意義は、医療機関のないへき地の駅や信号場に勤務する職員とその家族に、
健康診断を受けさせることでした。
昔はどんなローカル線にも貨物列車が走っており、各駅で貨車の入換えをしていました。
そこで医療スタッフを乗せた保健車も一緒にぶら下げていき、
必要とされる駅で側線に押し込むのは、別になんでもない“お安い御用”だったはずです。
そして仕事が終わった保健車は、その後にやって来る貨物列車に拾われていったのでしょう。
もちろん連結される列車は予め指定されて運用が組まれており、
“仕事”をする駅が時には複数に及んだであろうことを考えると、
保健車の運用は相当の日数におよぶものだったと想像されます。
医療スタッフにとっても結構な日数の“出張”だったことになりますね。
 

Re2:保健車について

 投稿者:かもめ  投稿日:2018年 9月28日(金)23時47分5秒
  仙コリ様
ご返信ありがとうございます。CV図面大変参考になります。車内にレントゲンがあるのですね、少し驚きました。私は平成生まれなので客車列車の現役時代をほとんど知らないのです。そこで本当に無知で申し訳ないのですが、保健車の運用はどのようなものだったのでしょうか?臨時列車が組まれたのですかね?
 

Re:保健車について

 投稿者:仙コリ  投稿日:2018年 9月26日(水)11時20分0秒
  かもめ様
はじめまして。

保健車を含め事業用車両の室内についてはなかなか資料が無いのが現状で、手持ちの資料を
探してみましたが室内についての記述は見当たりませんでした。

かもめ様がどこまでおわかりになっているかがわからず、知っておられる事とは思いますが
スヤ32とスヤ52のVC図面から作成した室内配置図を掲載させていただきます。

ただし、どちらもお尋ねの車両とは種車が異なるので、室内配置についても異なる可能性が
あるのですが、おおむね似たような感じなのではないかと思います。

詳しい方がおられましたらフォローお願いいたします。
 

レンタル掲示板
/312