客車列車の思い出や、質問・情報など自由に書き込んでください。(鉄道の話題に限ります)
《前のページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次のページ》
全3128件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。
Re3 :日中線の客車運用
投稿者:クモイ103 投稿日:2018年10月27日(土)20時37分43秒日中線には私も興味があるので、話題に参加させていただきます。
仙コリ様
日中線関連の客車運用表をお持ちとの事、貴重な情報ありがとうございます。
昭和57年11月改正の当時、日中線はすでに特定地方交通線の第一次廃止対象に指定されていたと思います。
そのような線区の客車運用をわざわざ本線と絡むように変更することは考えにくいな…と思っていましたが、
やはり客車運用は独立したままだったのですね。
maffei4100 様ご指摘の「磐越西線622レ」、そういえばそういう事があったな、と思い出しました。
確かに200番台が基本の磐西線にあって600番台の日中線の列車番号をつけている事と、
何より喜多方駅において日中線622レと重複していることは実に不思議でした。
理由は謎ですね。基本的に同一駅に同一番号の複数の列車が共存することはできない筈ですが、
もしかして「あちゃー、やってしまった」と気付いて日中線の622レの方を変えて誤魔化したのかも…
◆
磐越西線622レの前身である244レには、昭和49年9月に乗りました。
この時は日中線621レ~622レで熱塩まで往復し、喜多方で244レに乗り換えて会津若松へ戻りました。
622レが喜多方に到着した時、磐西下り副本線の3番線には客車4両の新津方にDD51がついた編成が停まっていました。
これが仙コリ様のお話にある223レで到着したものでしょう。
当日は休日だったため野沢行きはなく、牽引機がついたままだったのですね。
621レのC11は前向き牽引でした。熱塩に転車台は無いので、折返しの622レは逆向きとなりました。
喜多方に到着すると、2両の客車を日中線ホームに置いて、C11は機回し線からいったん新津方に引き上げ、
構内をぐるっと大回りして、3番線の編成の会津若松方に連結されました。
すなわち 逆C11+客車4両+DD51 という編成が出来上がり、これが244レとなったのです。
(実はDD51が最後尾についたまま走り出したかどうか確認していないのですが、あのまま喜多方に居ても
用事はないと思われますので、そのままぶら下がって会津若松の基地に帰っただろうと推測しています)
写真は今まさに244レの編成に連結しようとするC11です。
◆
ちなみに手元にある当時の時刻表に、拙い私の筆跡で次のような書き込みがありました。
15:04 → C11の回送 → 15:27
おそらくそのあと構内見学した会津若松運転区で入手した情報なのでしょう。
なお当日午後の牽引機もこのC11 204でしたが、623レが逆向き、624レが前向きと反転していました。
623レを会津村松駅で出迎えた写真を、2011年 6月 5日(日) に投稿しております(倶楽部メモ(658))。