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白帯車の記憶

 投稿者:jfs  投稿日:2018年 7月13日(金)01時26分3秒
  拝復 クモイ103様。

まず、先日の書き込みでご挨拶もせず、いきなり内容に及んだこと、大変失礼しました。
改めて・・・初めまして、jfsと申します。

物心ついた時から鉄道一筋で、中でも客車列車に特に関心を示す者です。
職業柄(工学部の大学教授です)車両の構造やデザインなどにも興味がありますが、
硬い事より楽しく思い出を語り、模型の列車を動かす・・・というような事を趣味としております。

さて、先日の件ですが、私が見た白帯車は、恐らく中央線か高崎線でのことで、営業列車ではなく
回送列車だったと思います。当時の記憶は今でも鮮明に残っており、その客車もマイネ40のような
新しい客車でも展望車でもなく、狭窓Wルーフのマイネ38のような寝台車ではないかと思っていました。
年月が定かではありませんが、昭和30年の8-10月または31年の7-10月のいずれかの間であることは間違いありません。

この時代は一等寝台車は既に廃止になってマイネ38はマロネ49になっていたようにも思います。
またこの回送列車が廃車になった古い白帯客車の回送であったのかもしれません。
一つ気になるのはこの時代には連合軍の接収車両は全て返還されていたはずですが、
その白帯車の生き残りという物は無かったですよね?
いずれにせよ茶色の車体に真っ白な帯を見つけて狂気のばかり「一等車」と叫んだ記憶があるのです。
まあ子供の記憶などいい加減と思われるかも知れませんが、私は経験上色に関しての記憶は
恐ろしく正確だったと親にも言われておりますし、その白帯車がクリーム帯を見間違えたと
いう事は無いと確信しております。

昭和30-31年当時はまだ東海道線全線電化前で青大将はありませんでしたから、マイテ39、49、58
及びマイ38それに特殊なマイフ97とか数えるほどの一等車が存在したはずですが、全てそれらが
クリーム帯であったのかは多少疑問に残る所です。

模型の世界ではスロ60の青大将があったり、白帯のマイテ49があったりで、それはそれで良いと思うのですが、
史実としてその辺の事を正しく把握しておきたいと思っていますが、未だに結論はでません。

これ以外の一等車に関する疑問点もいくつかありますが、これらについても
ご存知の方がいらっしゃればお教え願います。

・マイ38は途中で改造が行われシートピッチが変更になったと認識していますがこれは事実でしょうか?
 またピッチは1080㎜と認識していますが間違いないでしょうか。
・マイテ491は一等室を一人掛けのリクライニングシートに変更したようですが、窓と座席が
 合っているならピッチは950㎜との認識ですが、かなり狭いですよね。この状態で「つばめ」や「はと」の
 営業列車に使用されたことはあるのでしょうか?
・マイテ581は青大将当時屋根上にベンチレータがの無いノッペラボウの屋根でしたが、
 マイテ49はどうだったのでしょう? ノッペラボウのマイテ49の写真を見た記憶もあるようなのですが
 これはマイテ58だったのかもしれません。

以上、今後ともよろしくお願い申し上げます。
 
 

Re: 客車の等級帯

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 7月11日(水)22時46分4秒
  jfs様、はじめまして。

昭和30-31年ごろに白帯車を目撃されたとの事お話しには興味を惹かれます。その状況を詳しくお話し頂く事はできませんか?

現時点で私の認識は以下の通りです。

戦後の1等車の等級帯がクリーム色になった理由は連合軍専用車と区別するためでしたから、マイテでもマイネフでもとにかく全てが対象だったはずです。
昭和27年の講和条約発効に伴い連合軍専用車は無くなった(「駐留軍貸渡車」に移行)のでその理由は消滅したわけですが、クリーム帯はそのままでした。そこまで手が回らなかったのでしょうか。星晃氏の著述によれば、昭和31年の“青大将”登場まで1等車の帯はクリーム色だったということです。
また昭和33年に作成された国鉄内部文書「国鉄車両関係色見本台帳」でも、「クリーム色2号」の「おもな使用箇所」の中に「1等車帯色」が記載されています。
昭和34年の「車両塗色及び標記方式規程」では1等車の帯は「白」とされています。ただし当時在籍した1等車の大部分は等級帯のない青大将で、帯のあるぶどう色だったのは定期運用のないマイテ39 11とマイフ97 1だけでした。この2両が白帯になったという話は聞いたことがありません。

結論として、戦後1等車の白帯は無かった可能性が高い…ということになるのですが、jfs様の目撃情報次第では、見解を改めなければならないかもしれません。
 

客車の等級帯

 投稿者:jfs  投稿日:2018年 7月10日(火)14時14分7秒
  いつも楽しく拝見しております。過去の掲示板の記事についても、知らぬことが多々あり、大変役に立っております。
さて、かねがね私が疑問に思っていることに客車の等級帯の問題があります。ご承知のように戦後連合軍が優等客車を接収し、その客車に白帯を配したため、一等車が復活した時には等級帯がクリーム色になったとのことです。マイネ40などは登場時にこの色だったようですが、他の旧型一等寝台車や展望車やスイ38なども全てクリーム色の帯になったのでしょうか。
また占領軍の接収が解除になり客車が返還された以後に、白帯は復活したのでしょうか?

青大将化直前の展望車はクリーム帯との話も聞きますが、そうなると戦後の一等車には白帯はなかったのでしょうか?

実は幼少の頃(昭和30-31年ごろ)家族旅行に車窓で白帯車を見つけ一等車! と叫んだ記憶があるのです。

どなたか詳細をご存知の方お教えください。
 

多謝返礼

 投稿者:ED76109  投稿日:2018年 5月13日(日)11時40分51秒
   ありがとうございます。「ED76109」でございます。

 クモイ103 様

 明確な情報、ありがとうございます。EC「信州」や「妙高」が「長ナノ」であったことは、小生の「鉄勉強」になりました。当時の時刻表からは、「元気なころの横軽」の姿が感じられて、しばらく見入ってしまいました・・・。

 失礼いたしました。以上、「教頭客車鉄ちゃん」でありました。
 

軽井沢号の話題

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 5月13日(日)08時56分41秒
  ED76109様

話題に参加いただきありがとうございます。

同年8月号を見ると、「軽井沢グリーン号」は夏休み期間中の相当の日数に運転されていますよ。
なお中軽井沢駅の線路配置は客車列車の折り返しには対応していませんでしたから、グリーン号の運転区間は軽井沢まででした。

電車列車の編成ですが、“本体”である季節運転の「軽井沢」号は、「ゆけむり」や「草津」などと共通運用の新前橋電車区165系7連でした。その他の50号台の臨時列車は不明ですが、やはり同じ高シマの165系でやりくりしていたのではないかと思います。「信州」「妙高」の長ナノ169系はあまり予備編成を持っていませんでしたし、そもそも首都圏管内のことですから、長野鉄道管理局の手を煩わせることはしなかった筈です。

高シマの165系には波動用の予備編成が多数あって、北関東方面の行楽臨に大活躍していました。ただそれでも冬のスキー臨には手が足りず、12系客車や田町の155系まで駆り出され、あげくは115系の“遜色急行”まで出現するカオス状態。時刻表の12月号から3月号にかけては、上越線のページは色が違って見えたものです。
 

余計かつ戯言的な情報ですが・・・

 投稿者:ED76109  投稿日:2018年 5月12日(土)19時31分16秒
   ご無沙汰しています。「ED76109」でります。

 クモイ103様・スハネ30生様


 標題のとおりですが、昭和48年6月発行の「JTB時刻表」からは、「上野・中軽井沢」間を結んでいた「軽井沢」号は、すべて「EC」化されていることが確認できます。恐らく、当時「上野・長野間」を結んでいた「信州」や「上野・妙高高原、直江津間」を結んでいた「妙高」などとの同一編成だったのではないかと推察されます。

 直接、お訊ねの話題とは、無関係であることをご容赦ください。以上、戯言情報でした。 
 

GW鉄博にて

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 5月 6日(日)10時32分45秒
  大宮の鉄博にある「科学ステーション」は、子供向けの“鉄道教育”施設です。
最近のリニューアルで、開設当初よりもさらに進化してるようです。
その一角でこんなものを見つけました。
電車、蒸気機関車、ディーゼル機関車、と来て最後にオチがついています。
松山人車軌道の実物が「車両ステーション」に保存展示されていますから、
ただの無意味なオチではありません。
これは客車列車の一種ですよね?

ディーゼル機関車の動力方式をよく見ると、電気式になっています。
なるほど博物館の展示もこうなる時代なのかと感心しました。

マイテ39 11の展望室を覗き込む見学者の反応を見るのが、毎回の楽しみです。
写真に写っている人ではありませんが、
小さな子供が「わあすごーい、結婚式みたい!」と感嘆の声を上げました。
かつて戦後の某文化人が「霊柩車」と揶揄したことを思うと、感慨しきりです。
この車両にとってもうれしい反応だったのではないでしょうか。
某文化人に聞かせてやりたかったですね。
 

Re: 軽井沢グリーン号について

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 4月28日(土)20時24分24秒
  スハネ30生様

「鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション8」に1973年3月31日現在の国鉄車両配置表が載っており、尾久にスロ62・スロフ62が配置されていますが品川にはありません。ただしこれは、ちょうど東京-上野間の回送線に定期旅客列車が走らなくなったタイミングですから、それ以前の軽井沢グリーン号がどうだったか、ちょっと微妙な所ではあります。

機関車の運用については情報を持ち合わせていませんが、EF62が品川まで来ていたとしても不思議はないですね。ただし高崎までEF58という可能性もありますから、何とも断定はできません。
 

軽井沢グリーン号について

 投稿者:スハネ30生  投稿日:2018年 4月28日(土)11時58分9秒
  スロ81系和式客車に関連する事柄ですが、種車のスロ(スロフ)62のみを使用した【軽井沢グリーン号】という夏季臨時列車が1970年代前半に運転されていましたが、使用された車両の配置区・運用・編成について、お判りになる方がおられましたら御教示ください。また時刻表によると1972年以前は東京駅始終発になっているようですが、牽引機は横軽通過のためEF62の筈ですが、東京駅で機回りをしていたのでしょうか。品川で撮影と思われるEF62の画像をネット上で発見したのですが、品川区で列車を仕立てていたのか疑問です。当時、上野以南にEF62が入線すること自体まれなケースと思われますが、機関車の運用がどうなっていたのかも知りたいところです。証拠写真があれば一目瞭然なのですが。参考資料として1972年8月の時刻表を添付いたします。  

Re: スロ81各車の愛称について

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 4月21日(土)21時08分32秒
  スハネ30生様

これはとても詳細な調査成果ですね。
模型で作られる方には貴重な情報となるでしょうし、
またスロ62の雨どい高さの個体差についても、
これまで系統的に調査されたのを見たことがありませんので、
これだけの両数の個体情報があると一定の前進があるかもしれません。

貴重な情報を公開下さりありがとうございます。
 

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