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Re4:保健車

 投稿者:まるい  投稿日:2018年 9月30日(日)23時56分4秒
  こんばんは。先日紫雲丸の件でお世話になりました。皆様ありがとうございました。
さて、北海道大学鉄道研究会が発行している「混合列車」No.14に、山下修氏の「北海道の保健車について」とのレポートが掲載されています。昭和59年時点の道内の運用、スヤ323とスヤ524の見取り図が掲載されています。掲載見取り図では、スヤ323はレントゲンが大部分を占め、スヤ524は診察室や心電図室が設置されてます。
記事には鉄道病院の検診担当者にもお話を聞き、鉄道病院の医師は保健車と別に移動など、当時の運用について興味深い記述もあります。
「混合列車」は北海道立図書館に初期を含め所蔵されています。私もコピーしました。北大鉄研の冊子は他図書館にもあるかもしれません。
当方JR病院に通院していますが、「鉄道病院」という言葉も既に死語なんでしょうね。
 
 

Re3: 保健車について

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 9月30日(日)20時17分22秒
  かもめ様、はじめまして。

保健車については私も詳しくないのですが、実際の運転について今まで聞いた情報を総合すると、
車両基地と“仕事”のある駅との間はおそらく貨物列車に併結されて移動したのだと思います。

そもそも保健車の存在意義は、医療機関のないへき地の駅や信号場に勤務する職員とその家族に、
健康診断を受けさせることでした。
昔はどんなローカル線にも貨物列車が走っており、各駅で貨車の入換えをしていました。
そこで医療スタッフを乗せた保健車も一緒にぶら下げていき、
必要とされる駅で側線に押し込むのは、別になんでもない“お安い御用”だったはずです。
そして仕事が終わった保健車は、その後にやって来る貨物列車に拾われていったのでしょう。
もちろん連結される列車は予め指定されて運用が組まれており、
“仕事”をする駅が時には複数に及んだであろうことを考えると、
保健車の運用は相当の日数におよぶものだったと想像されます。
医療スタッフにとっても結構な日数の“出張”だったことになりますね。
 

Re2:保健車について

 投稿者:かもめ  投稿日:2018年 9月28日(金)23時47分5秒
  仙コリ様
ご返信ありがとうございます。CV図面大変参考になります。車内にレントゲンがあるのですね、少し驚きました。私は平成生まれなので客車列車の現役時代をほとんど知らないのです。そこで本当に無知で申し訳ないのですが、保健車の運用はどのようなものだったのでしょうか?臨時列車が組まれたのですかね?
 

Re:保健車について

 投稿者:仙コリ  投稿日:2018年 9月26日(水)11時20分0秒
  かもめ様
はじめまして。

保健車を含め事業用車両の室内についてはなかなか資料が無いのが現状で、手持ちの資料を
探してみましたが室内についての記述は見当たりませんでした。

かもめ様がどこまでおわかりになっているかがわからず、知っておられる事とは思いますが
スヤ32とスヤ52のVC図面から作成した室内配置図を掲載させていただきます。

ただし、どちらもお尋ねの車両とは種車が異なるので、室内配置についても異なる可能性が
あるのですが、おおむね似たような感じなのではないかと思います。

詳しい方がおられましたらフォローお願いいたします。
 

保健車について

 投稿者:かもめ  投稿日:2018年 9月24日(月)23時32分41秒
  初めて投稿させて頂きます。
保健車に惹かれてイエロートレインさんのスヤ32 3 スヤ52 4のNゲージ コンバージョンキットを作成しているのですが、室内に関する資料、記述が乏しく難航しています。どなたかご存知の方がいらっしゃればお力添えをよろしくお願いします。
 

修学旅行受難の年

 投稿者:てりてり  投稿日:2018年 9月13日(木)22時39分50秒
   ご無沙汰して居ります。
 やや話はズレますが1955(昭和30)年は修学旅行をめぐって事故が相次ぐ年だったと聞いた事があります。この他にも東海道本線田子の浦踏切で米軍トレーラーと衝突して車両が炎上した事故やバスの事故が発生、修学旅行を中止した学校もあったそうです。
 紫雲丸で亡くなった人達の合同慰霊祭は6月14日に執り行われ、梅雨時と思えぬ天候に「あの日がこうであったら…」と言う思いを持つ人が多かったそうです。ニュース映画のアナウンスの「…楽しかるべき修学旅行がそのまま死出の旅に為るとは…」言葉と重なってしまいました。
 この紫雲丸はレーダーを搭載しているにもかかわらず事故を起こしてしまい、前年の洞爺丸事故の責任を取る形で国鉄総裁の辞任がありました。
 この船は1950(昭和25)年3月にも衝突事故を起こし沈没、浮上させて修理をしたのですがまた…   『紫雲』は『死運』に通じるのではないか、と言う事で『瀬戸丸』に改名、1966年まで何事も無く就航、敗戦後は1991(平成3)年頃まで広島の造船所の浮き桟橋としてあったそうです。
 今、安心して交通機関を使って移動できますが文字通り命懸けの時代もあったのですね。
 50近い人なら列車の乗り降りの練習をした事もあると思いますが、60年前は列車やバスからの脱出する練習をしていたとも。
 本題とは無関係の事をつらつらと書き連ねた事をお許しください。

 災害に遭われました方々に謹んでお見舞い申し上げます。
                            それでは。
*参考文献 萩原幹夫 著『宇高連絡船紫雲丸はなぜ沈んだか』
 日本ニュース・朝日ニュース 他
 

Re7: 宇高連絡船紫雲丸

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 9月12日(水)21時31分28秒
  まるい様

「ツヮ」についてご教示ありがとうございます。そんな特殊表記符号があったのですね。

貨車の様子について、前述の谷沢氏は次の様に述べられています。

********************
第三宇高丸に積んでいた貨車18両の中 右舷トップのワム7384は衝突の為大破し
ましたが残り17両は無事でした.尚このワムは現在高松駅構内にあります.
第三宇高丸が紫雲丸の右舷へ相当深く突込んだため 紫雲丸右舷寄の貨車は
左舷寄の貨車に○(文字カスレで読めず)り込んだためまた船が真横に(右舷上、左舷下)倒れ
ているので貨車の復旧は考えられません.
********************

これは事故発生からまだ日の浅い時点の情報であり、その後どうなったのかはわかりませんが、
ある程度参考になるのではないでしょうか。
 

Re6:宇高連絡船紫雲丸

 投稿者:まるい  投稿日:2018年 9月11日(火)23時32分14秒
  クモイ103様
ご指摘ありがとうございます。谷沢氏のお名前を間違ってしまい大変失礼致しました。申し訳ありません。

宇高と関門の就航船には手押車の記載がありますね。確かに紫雲丸の積載車両数と関係あるかもしれません。因みに関門航路の自動車航送、積載車両数や一時期就航した七浦丸にも積めたのか?など疑問を持ってます。おっと、また客車から離れてしまいますね、失礼しました(笑)

ツヮは通風車のうち側面シャッターを閉じることができる車両を示す特殊表記符号だそうです。そうすると「ツヮ3120」の可能性が高いですね。

紫雲丸事故の水没車両は、沈没の規模から復旧した車両も多いと推測しています。昭和25年の紫雲丸沈没事故、また戦時中の青函航路沈没の積載車両と共に調べてみたいと考えています。

 

Re5: 宇高連絡船紫雲丸

 投稿者:クモイ103  投稿日:2018年 9月11日(火)21時44分41秒
  まるい様

「鉄道連絡船100年の航跡」の主要目一覧表を見ると、
載貨量として貨車14の他に「手押車18」という記載がありますね。
これが関係あるのかな…?

「ツ3120」ですが、リクライニングシートの誌面はガリ版の手書きで、
実際には「ツ」の後ろに小さく「ワ」とも「フ」とも読めるようなものが見えます。
私は汚れかな?と思っていましたが、もしかしたら何らかの記号なのかもしれません。

# 「谷口」氏でなく「谷沢」(たにざわ)氏です。
# ぢつは私も、「やざわ」と思い込み変換ミスで「矢沢」と誤記して先輩に叱られました…orz
 

Re4:宇高連絡船紫雲丸

 投稿者:まるい  投稿日:2018年 9月11日(火)01時26分15秒
  クモイ103様
おぉー、ありがとうございます。凄いですね。深夜ですがちょっとハイテンションになっております(笑)
 紫雲丸の積載車両数ですが、古川達郎氏の「鉄道連絡船100年の航跡」では貨車15両とだけ明記してますね。同じく紫雲丸型はワム7両×2線とも明記してます。考えれば積めませんよね。ただ海難審判所(旧海難審判庁)のホームページでは、「貨車等19両」とも記述してます。何がどこでどうなったのか、謎です。
 私は「四鉄史」の鉄道公安の項目に記載されている貨車番号を控えてました。ご教示頂いた番号と比較すると、四鉄史の番号記載間違いと推測される箇所が多数ありました。誤ワニ3869→正ワ23869、誤ツム21070→正ワム21070、ツム358が重複記載→ツム583が欠落、誤ツワ3126→ツ3120、欠落3両=ツム1039、トラ730、ワム35639、でした。
 確かに「ツム21070」はツム1000か?だけど該当する車番はないな、また貨車記号の「ニ」は特殊表記符号にもないしと疑っておりましたが、謎が解けました。感激しております。
 クモイ103様、ご相談されたお知り合いの方、そして記録していた趣味の大先輩である谷口潤二氏に感謝致します。
 青函連絡船史料研究会、一度参加してみたいですね。
 重ねてすみません、客車ではなく貨車の話になってしまって(笑)

 
 

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