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Re2Re:急行みちのく・北斗・北上の疑問

 投稿者:陸奥光政  投稿日:2020年 5月14日(木)02時12分40秒
  仙コリ様

御返答ありがとうございます。
一覧にしてみると、平坦線の多い常磐線系統はスハ43系を使用し勾配線の多い東北本線、奥羽本線系統はナハ10系を使用しているのが伺えますね。

みちのく編成が青森の車両ということで、連結されている食堂車にスシ28-4が入っていることに気付きました。確かにその通りですね。

この時期だとどの列車も優等車はマロネ29やオロ36といった戦前製客車ばかりで楽しいですが資料が少ないので車番まで追えないのが難点ですね。
 
 

Re2:急行みちのく・北斗・北上の疑問

 投稿者:仙コリ  投稿日:2020年 5月12日(火)20時49分20秒
  補足ですが、参考までに昭和33年10月時点での東北・奥羽・常磐線系統の急行列車について
主な使用車両の所属とハザの使用客車系列をまとめてみました。

東北本線

101・102レ 青葉   仙台 スハ43系
103・104レ 吾妻   仙台 ナハ10系・スハ43系
105・106レ 松島   仙台 ナハ10系・スハ43系

東北本線・奥羽本線

401・402レ 津軽   尾久 ナハ10系
403・404レ 鳥海   秋田 ナハ10系

常磐線・東北本線

201・202レ みちのく 青森 スハ43系
203・204レ 北上   尾久 ナハ10系・スハ43系
205・206レ 十和田  尾久 ナハ10系
207・208レ 北斗   尾久 ナハ10系
209・210レ おいらせ 青森 スハ43系
 

Re:急行みちのく・北斗・北上の疑問

 投稿者:仙コリ  投稿日:2020年 5月12日(火)20時00分18秒
  陸奥光政様

「みちのく」と「北斗」、「北上」編成におけるナハ10系の使用両数の違いについてですが、
調べてみたところ使用客車の所属の違いが原因のようです。

具体的には「みちのく」は青森所属の車両、「北斗」及び「北上」には尾久所属の車両が
使用されていたようです。

昭和33年10月時点での10系ハザの配置を見てみると尾久には39両配置されていますが、
青森には配置無しといった状況です。

全国的に見ても全体の7割強が東京地区と九州地区に集中配置されていて、東北地方には
1割弱の配置となっていたため、東北地区受け持ちであった列車には10系ハザを使用した
列車は少なかったようです。
 

急行みちのく・北斗・北上の疑問

 投稿者:陸奥光政  投稿日:2020年 5月12日(火)00時27分4秒
  皆様、ご無沙汰しております。

昨今の状況で自宅に籠もって作業をしているのですが、昭和33年頃の組成でどうしても分からないものが出てきております。

これが、「みちのく」と「北斗」、「北上」編成の組成の違いです。

疑問点はスハ43系とナハ10系の使用両数違いです。
みちのく編成は
マニ+スロ+オロ+オロ+スシ+スハ+スハ+スハ+スハフ+オロ+スハ+スハフ(後3両上野ー仙台)

北斗編成が
マニ+マロネ+スロ+スロ+ナハネ+ナハネ+マシ+ナハ+ナハ+ナハ+ナハ+ナハ+ナハフ

ナハ10と11が登場してからもみちのくは最後までスハ43系での運用となっています。一方で北斗についてはナハ10系に早々に交代。寝台車がメインになるS34年まで使用されます。
蒸気牽引急行ですから、両数を増やすならナハ10の使用を前提にするか、折半で使用するのが良いように思えてしまうのですが、これの意味というのは何かあるのでしょうか。

一方で北上編成がこの折半形式
マニ+マロネ+スロ+オロ+ナハネ+ナハ+ナハ+ナハ+スハ+スハフ

となっています。
常磐線急行は北海道との連絡急行ですから、どれも需要は多かったように思いますが、編成にこれだけ差が出るのがどうしてもわかりません。
このように使用を分けたりする意図はあったのでしょうか。それとも単なる運用上の都合なのでしょうか。

ご教授頂ければ幸いです。

それとこれは愚痴になってしまうのですが。
転属や組成替えが頻繁に行われているこの時代の車両配置の資料が本当に少ないですね。編成が分かっても、どこに所属している車両なのか。借用なのか、の判断がつきませんね。
ピクで組成、車番、所属を記録されている方には本当に凄いなと思っています。自分も、貨車の編成記録は後年の為に記録するようになりました。
 

国鉄車両関係色見本台帳

 投稿者:風来人  投稿日:2020年 4月24日(金)19時52分42秒
  クモイ103様

当該資料の貴重な情報をご教授下さり、
本当にありがとうございました。

今まで私の方では、色見本帳とは別に
色見本台帳なる資料が存在していた事は認識しておらず、
それぞれの色見本帳や制定色が纏められてきた背景をより深く知る事が出来ました。

昭和31年版・34年版の色見本帳に関して、現段階では
確認はできておりませんが、将来的に探し出し、それぞれのデータを纏めた上で、多くの方に発表させて頂けたらと考えております。

最後になりますが、
この度は本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。
 

Re: 国鉄車両関係色見本台帳

 投稿者:クモイ103  投稿日:2020年 4月23日(木)20時43分4秒
  風来人 様

はじめまして。
国鉄制定色についてご研究とのことで、拙文に反応いただきありがとうございます。

私の手元にあるのは、色の「名称」とその「おもな使用箇所」の一覧で、色見本そのものはありません。

まず「臨車設389号 昭和33年3月26日 国鉄車両関係色見本台帳の通知について」という文書があります。
宛先は「資材局長、各支社長、各鉄道機器製作監督事務所長、各工場長」となっていて、発信者は「工作局長」です。

内容は要するに、色の呼び方がまちまちで、最近ますます種類が増えて困るので、
とりあえず昭和31年に「国鉄車両関係塗料用色見本帳」を制定したけれど、
今回改めて「国鉄車両関係色見本台帳」を設置し、色見本および色の呼び方を定めることにした。
ついては「台帳(写)昭和33年3月1日現在」を送付するからよろしくね、という主旨です。
「なお、設置にともなう色見本は追って送付します。」とも書かれています。

そして肝心の「色見本台帳」ですが、85種類の色名称とその用途が示され、大部分のものに旧名称が併記されています。
例えば「灰青色1号」の旧名称は(キハ1号,帯黄灰色)といった具合です。
ちなみにその用途は、
> ペ:気動車の屋根,タンク車(液体塩化ビニル用)のタンク外部
> サランカーテン:電車の窓カーテン
> ゴム:電車の荷物ダナ荷受ゴム
となっています。

以前の投稿で述べた通り、資料は現在とある機関に預けられていて、今のところ公開されていません。
ですから決して出し惜しみではなく、ここでの公開は控えさせて頂く事をご理解お願いします。

真摯な研究者の方にここで巡り合えたことを嬉しく思います。
私が持っている情報はこれだけで、ご期待に沿えるものではなさそうですが、
何かと情報交換が出来ればと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
 

国鉄車両関係色見本台帳

 投稿者:風来人  投稿日:2020年 4月22日(水)22時52分10秒
  管理人様・皆様こんばんは。
はじめまして。
半年程前から国鉄制定色について
研究をしております、風来人と申します。
どうぞ宜しくお願い致します。

以前当サイトで、白帯車の話をされていた際(過去ログ791)にクモイ103様が、昭和33年の国鉄車両関係色見本台帳に関して、個人収集家の方に許可をいただき、当該資料をコピーされたというお話をされていたかと思います。
その際、一部内容の紹介、その後の資料の行方に関してという二点について触れられていたのですが、それらに関して、より詳しい話をお聞かせ願えませんか?

私が調べてきた中で、初期の国鉄車両関係色見本帳に関して得られた情報は、鉄道ジャーナル217号で星晃氏が述べられていた、昭和31年版の色見本帳には47種の色が、昭和34年版の色見本帳には84色の色見本が収められているという事と、昭和31年版の色見本帳に、具体的にどの様な色が収められているかという情報だけであり、それ以外の情報に関して、探し出せていない状況です。

また、第三版(昭和38年)の以降の色見本帳に関してはインターネットオークションで出回っていたり、鉄道博物館等で収蔵されている為、ある程度は情報が入手し易くなってはいるのですが、やはり全てを確認できているわけではありません。

国鉄車両関係色見本(台)帳の内容や
所在・証言等に関してご存知の事が
御座いましたら、
ご教授いただけますと幸いです。
宜しくお願い致します。
 

キマのクハユニ?

 投稿者:クモイ103  投稿日:2020年 4月 9日(木)21時29分19秒
  昭和30年代のキマで思い出しました。
戦時中に横須賀線へ新製投入されたモハユニ61001が、昭和28年改番でモハユニ44100となり、
大糸線で両運転台化改造を受けてクモハユニ64000になったそうですね。
大糸線当時は自動連結器を装備して機関車の代わりに貨車を牽引していたとのことで、
それをご覧になったのでしょうか?
 

応援の17m国電

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2020年 4月 8日(水)13時06分23秒
  戦後すぐだったか?城東線で見た覚えがありますが、戦前から関西に居たモニだったかも
知れません。
目蒲?から来た阪急の凸屋根車には昭和25年4月から2年ほど今津線で高校通学時乗せられ
ました。
昭和30年代に福塩線と大糸線でも乗りましたがキマにいた丸屋根クハユニ?を期待したのに
車庫に居たのを横目で眺めて信濃四谷(白馬」)--キハ52---糸魚川---
 

Re: 電気機関車

 投稿者:クモイ103  投稿日:2020年 4月 7日(火)21時33分44秒
  マロネロ38様

EF55は3両だけでしたから、当たればラッキーという感覚だったのでしょうか。

戦前の東京を関西の方から見たご感想は、目にする機会が少ないので興味深く拝読しました。
関西の省電は丸屋根20メートルのモハ40から始まったとのことですから、Wルーフ17メートルのモハ30系は異様に映ったことでしょう。
関西での17メートル車は、戦時中?(戦後?)の一時期、戦災対応で東京から応援に入った少数のみだったと聞いています。

山手線では、戦後も長く昭和30年代まで、ホーム有効長の関係で20メートル車に統一できず17メートル車が残っていたようです。
さすがにその後頑張って各駅のホームを延長し、20メートル×8両の101系を受け入れました。
そして103系に代わって間もなく10両化、さらにずっと後のJR時代になって、6ドア車サハ204の本格投入に伴い11両化という“成長”を遂げました。
東京タワーが建つ時代になっても17メートル車が混在する凸凹編成が標準だった山手線の電車は、今の姿からは想像し難いですね。
 

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