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昭和30年代の東海道本線の列車密度

 投稿者:太田拓也  投稿日:2009年10月 9日(金)14時16分25秒
  >シベリア鉄道
「湖上にレール」で思い出したのですが、日露戦争当時は単線で長区間行き違い設備が無かったため日本軍が「一度列車が着たら当分補給は無い。」とタカをくくっていたところ、一方通行で次々と列車を走らせてきたそうです。

ところで時代は下って冷戦真っ只中の昭和30年代、東海道本線の輸送力が限界に達したため高速新線の建設に着手した…と史実にありますが、当時の時刻表を見ると1時間に特急が3本走る現在の北陸線や鹿児島線に比べるとたいしたことの無い列車本数に見えます。

まあ当時は貨物列車が多い上に遅い2軸車中心でダイヤが作りづらかったのでしょうが、新幹線の建設が始まった頃の時刻表(1959年7月号)をみるともっと興味深い事実が分かります。なんと朝に東京駅を出る大阪行き列車が7時発の「第1こだま」、9時発の「つばめ」、9時30分発の「なにわ」のたった3本しかありません。

現在の新幹線ホームの最も混む時間帯ががこんなにスカスカとは… そんな現状で新幹線建設したら「万里の長城」言われますって。史料が当たり前のように書いてる事も現在の視点で見るといろいろ疑問点が浮かんできます。

http://f3.aaa.livedoor.jp/~takuya/index.html

 

バイカル湖上の線路

 投稿者:ユーラシア鉄道  投稿日:2009年10月 8日(木)00時15分11秒
   <マロネロ38様>
 <ED76109様>

 こんばんは。ご質問ありがとうございます。

 小生が転勤・住まいします福岡は天神北に、ロシア人経営のレストラン
がございまして、その経営者夫婦(イルクーツク出身)に聞いた確実なる
話で、湖上にレールの敷設は、ソ連時代以降はしておらず、帝政時代に、
氷の割れ目が再度くっついた時、富士山状の盛り上がりに列車が突っ込み
氷上転覆の話を聴きました。

 最近では、ワカサギ・オームリ(マスの一種)の釣り人が、氷の割れ目
にはまり行方不明になる事故はなくならないそうです。

 以前に記したかも知れませんが、ロシア客車は1955年(昭和30年)
ころに、ソ連鉄道省のデザイナーが「日本の客車のデザインを模倣」した
とのことらしいです。

 当時、デザイナーといえど西ヨーロッパの客車デザインですら西側文化
の模倣は、国禁であり、日本のも模倣であらば疑惑をもたれないためです。

 よって今までのソ連・ロシアの機関車なども顔が「EF58」に似てい
たりとするのかも知れません。

 ブリリアントな福知山線・キハ58・宝塚駅での3ショットです。
  <急行丹波・下り>
  <大阪行き・急行丹波2枚>
 いずれも、城崎電化直前の光景です。
 

北の大地から・・・

 投稿者:ED76109  投稿日:2009年10月 7日(水)22時11分38秒
   おばんでごさいます。「ED76109」であります。

 ユーラシア鉄道様及びマロネロ38様

 >冬季は、氷結した湖上にレールを敷いて通行してたようです。

  実際、「バイカル湖」の氷上にレールを敷設した写真を見た記憶がありましたが、列車が水没したという話は・・・?ただ、厳冬期は氷の厚さが1メートル以上であれば、車両の通行は十分に可能であるという話は聞いたことがあります。「−40〜50℃」近くになる最低気温を観測する「バイカル湖」付近であれば、十分に信憑性のある話でありますが。

  >日本ではED76109先生の辺りへ行かぬともうこんな景色を中々見られないかと---。

   当地もいよいよ秋本番であります。「大雪」では、9月に既に「初雪」が観測されています。緑の青さが次第に黄色ががってまいりました。「ユーラシア鉄道」様の2枚目のお写真は、「石北本線下り」が「留辺蘂」に入線する直前の風景に似ておりますし、3枚目のお写真は、「函館本線上りニセコ」が「張碓付近」を通過する様子に・・・。いずれにしてもすばらしきグットショットであります。ありがとうございます。

 なお、「戯言情報」でありますが、台風の影響によって「7日大阪発下りトワイライトEXP」及び「8日札幌発上りトワイライトEXP」はウヤであります。編成記録、撮影等のご参考まで。

 長々と失礼いたしました。以上、「戯言情報」等でありました。
 

日露戦争当時の逸話

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2009年10月 7日(水)09時42分54秒
  ユーラシア鉄道様
おかしな質問で恐縮です。
高校生時代に人文地理の先生から、日露戦争中に冬にバイカル湖?(だったと記憶)の
厚い結氷の上に短絡鉄道を敷いて軍用列車を通したら、氷が割れて一列車水没したとの
事を聞きましたが,そんなおかしな事が実際にあったのでしょうか?

お写真は兎に角牧歌的で自然が100%残っていて美しいですね。日本ではED76109先生の
辺りへ行かぬともうこんな景色を中々見られないかと---。
 

バイカル環状鉄道

 投稿者:ユーラシア鉄道  投稿日:2009年10月 6日(火)23時54分47秒
  <ED76109様>

 こんばんは、ED76109様 ありがとうございます。

 明治〜大正期は、仰せのとおり、バイカル湖を連絡線で渡り、
温暖化していない当時、冬季は、氷結した湖上にレールを敷いて
通行してたようです。

 ・・・初秋のバイカル湖畔沿いに「イルクーツク」へ・・・
 バイカル湖南部に「スルジャンカ」という寒村からバイカル湖
の西岸を「バイカル環状・観光鉄道」が走っております。

 観光客用にSLと気動車が交互にイルクーツクから湖畔のまち
バイカルまで運行されています。

 <バイカル環状鉄道気動車(リゾートしらかみ?)>
 <同鉄道SLと観光塗装の東独製客車>
  <バイカル湖畔の俯瞰(噴火湾沿い室蘭本線?)>
 

シベリア鉄道のハイライトですね

 投稿者:ED76109  投稿日:2009年10月 5日(月)23時13分53秒
   おばんでございます。「ED76109」であります。

 ユーラシア鉄道様

 昭和57年放送の「NHK特集」では、「モスクワ行上りロシア号」が「初秋のバイカル湖畔」沿いに「イルクーツク」へ到着するシーンが放送され、左右にカーヴを切って走行する「ロシア号」に小生憧憬を強く抱いたものであります。「シベリア鉄道」開通当初は、「バイカル湖」は連絡船で対岸のハバロフスク方面へ結ばれていたとの話。スケールの大きい話に、「シベリアの大きさ」とお写真の「VL10型機関車」の力強さが実感できるようであります。

 長々と失礼いたしました。以上、連日の「道民球団の応援」で「札幌ドーム風邪」をひいてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。
 

想い出のフォトアルバム10

 投稿者:ユーラシア鉄道  投稿日:2009年10月 5日(月)23時03分2秒
   続投で失礼致します。

 つづいて、国内に転じ、EF58−150の想い出です。

 国鉄民営化直前のEF58−150牽引・旧型客車+マイテ49
の「すきやねん国鉄ご愛顧感謝号」の写真です。

 <オハフ33デッキよりEF58150を望む>
 <東海道本線を疾走(三宮ー六甲道間)>
 <姫路駅待機中のEF58旧型客車列車・大阪行き>
 

想い出のフォトアルバム9

 投稿者:ユーラシア鉄道  投稿日:2009年10月 5日(月)22時52分17秒
   こんばんは、

 ユーラシア鉄道の想い出・バイカル湖畔イルクーツクにて

 透明度世界一の神秘の湖・バイカル湖畔の町・イルクーツク駅
 での写真です。

 バイカル湖に生息するマス科の「オームリ」という魚は、名物で
ロシア人やウクライナ人は、生でマスタードをつけ黒パンにのせて
いただきます。何とおいしいこと。日本以外でも生魚を食べている
ことに驚きました。

 <イルクーツク駅の電機VL10型>
 <同VL10型運転台と機関士ワロージャさん>
 <イルクーツクの路面電車切符>
 

スエ38 3 (2008年の過去記事をみて)

 投稿者:EF80スユニ60  投稿日:2009年10月 5日(月)10時29分4秒
  はじめて投稿させていただきます。
EF80スユニ60と申します。
宜しくお願いいたします。

ふとした時にこのHP、掲示板を見つけ、懐かしさのあまり思わず・・の投稿です。

まず、驚きました。まだこんなにきれいに保存されていたとは・・・「スエ38 3」
記憶の中だけの話です。間違っていたら申し訳ありません。

私がまだ小学低学年ごろ(1980年代前半?)だったと思います。水戸線のとある駅留置線に一両の見たこともない客車が置いてあったのです。当時の私は眺めたり乗ったりしているだけで満足で、写真を撮る、記録をとることを知らない時代でした。(今考えるとかなりの後悔です。)
その客車が3軸であること、屋根が二重であること、が、当時スユニ、オハ系ぐらいしか見たことがなかった私にとって、かなりインパクトが強かった車両であったことは違いありません。
その日か、その数日後かに、大きなトレーラー2台で、今の保存場所まで陸送されて行きました。私は駅を出発したトレーラーにゆっくり歩いてついて行きましたが、行き先も分からず、途中で帰宅してしまいました。
後日、兄が、その車両を発見。また、町の噂?で児童図書館になっている・・・と聞き、さっそく通いました。週1回は通った記憶があります。児童図書館でしたから、当時は普通に車内に入れました。(それがまた今考えるとすごいことです!)ある程度は車内が図書館用に改造されていたようですが、かなり原形のままの車内であろう雰囲気であったことは記憶しております。(寝台らしきものもあったような?今考えると何かの棚かもしれませんが・・・)
数年後?、客車を覆う屋根の設置や、塗装しなおし等、オーナー様がかなり大切にされていることがうかがえました。

あれから約25年・・・私自身は、今は水戸線沿線からは遠く離れてしまいましたが、実家に帰省した際には、写真を撮ることができたらいいなと思う今日この頃です。

以上、初投稿で、長々と申し訳ありません。
また乱文、申し訳ありません。
 

ユーラシア鉄道様

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2009年10月 4日(日)16時56分43秒
  前原国土交通大臣は「撮り鉄ファン」です。
新婚旅行が北海道でなんとC62の「ニセコ」撮影目的だったとか-----
ロシアの客車の広幅貫通幌が良いですね。それに客室灯(蛍光灯)が日本見たいに線路に
平行ではなく、直角なのも電気は喰うでしょうが照度が上がりますね。
 

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