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デルタ線

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月13日(金)09時24分17秒
  ▼コスモス様:
> 水戸方と小山方と両方向につながる、いわゆるデルタ線の跡の一部のようです。

動力分散編成に比べ、組成や方向転換に手間取る客レが主流の時代にあって、友部で
折り返す水戸線列車の設定があったのは、少し意外ですね。現在でも半数近くの便が
友部で折返しており、乗務員の配置や車両運用面で合理化を求めた結果と思いますが、
乗り換えの手間隙(特に跨線橋での昇降を介する場合)や着席機会に基く利用動機を
考えると、やはり「水戸線」を名乗る以上、水戸に直通して頂きたいものです。

その意味では、烏山線も何とかならないかと感じますが、こちらはワンマン運転ゆえ、
東北線に直通すると、乗務員の遣り繰りが繁雑になるのかも知れません。して見ると、
2006・07年の夏に運転された「山上げ祭り」12系臨時列車の運転の際は、臨時要員が
正に「寄って集った」状態だったのでしょう。昨年と今年は運転されず終いでしたが、
こうした臨時便は、もはや期待出来ないのでしょうか。

友部駅の事例と些か趣旨が異なりますが、デルタ線と聞くと、道路地図上で見掛けた
事例として、秩父鉄道秩父駅や東北線小湊駅を連想します。前者は、セメント工場の
関連ですね。後者は終戦間も無い頃、小湊桟橋への接続に供されたもので、どの様な
事情かと思えば、GHQの軍艦を充てて、青函連絡船を補助していたそうです(驚)
 

想い出のフォトアルバム11

 投稿者:ユーラシア鉄道  投稿日:2009年11月13日(金)02時25分21秒
   こんばんは。しばしご無沙汰しておりました。

 想い出のフォトアルバムとして続投させて頂きます。
 20年以上前の写真につき見にくさはご容赦願います。

 <福知山線電化直前12系普通列車・下滝駅>
 < 同 電化直後出雲市行スジ引継ぎの城崎行113系>
 < 同 不評だった大阪からの113系2連・城崎電留線>
 113系2連は大船工場でモハをクモハ化して全列車の3分の1
 くらいの運用で、客車8連が当たり前だった乗客からはかなりの
 不評でした。

 大阪駅3番ホーム(環状線の隣)に「2連」で、ぽつんと停車し
 てる光景は、滑稽そのものでした。
 

友部のデルタ線

 投稿者:コスモス  投稿日:2009年11月10日(火)21時12分4秒
  ▼雑魚 様

友部駅北側は橋上駅化にともなって,駅前広場が整備されましたがGoogleの空中写真では,ご指摘いただいた以前の線路敷地の跡と思われる線形がみてとれますね。
これは,水戸方と小山方と両方向につながるいわゆるデルタ線の跡の一部のようです。
電化前の蒸気機関車時代には、ターンテーブルのない友部終着で小山方向へ折り返す客車列車の牽引機を方向転換するのにこのデルタ線を使っていました。
国土交通省のホームページで古い空中写真を見ることができますが,昭和49年撮影のものではGoogleのものよりも跡がよりはっきりしているように思えます。
駅構内に広い場所が必要なデルタ線を内蔵していた駅は,そう多くないとおもいます。
長崎本線の肥前山口にもかつてはあったということのようです。
 

修学旅行雑感

 投稿者:ED76109  投稿日:2009年11月10日(火)19時35分12秒
    失礼致します。寒暖の激しき日々に体調管理がつらい「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >北海道は航空機利用OKですか?
 教育長令では「原則としてJR利用とする(但し、航空機利用も可とする)」とありまして、殆どの道立高校は「航空機」で「しょっぱい川」を渡っております。先輩の話では、昭和50年代の校内暴力盛んなりし頃、「八甲田丸の甲板」で「番長同士の大乱闘」を収めた「武勇伝(!?)」を伺ったことがございます。小生は、残念ながら昭和63年に初引率だったことから「青函連絡船での武勇伝」はございません。

  >「日本海」が函館まで来ていた頃は札幌から乗り換え1度で済みましたがね
  「鉄」旅等では何度かお世話になりましたが、「修学旅行の引率」では平成2年に乗ったのみです。しかし、生徒が「富山」で「大阪車掌区のカレチ」さんと一悶着を起こして、生徒と共に平謝りした苦い記憶が・・・。翌日謝罪した上に、「オレンジカード」まで進呈いただき恐縮の限りでありました。しかし、遅れやウヤに係る「大阪車掌区のカレチ」さんの対応は感心しきり。ユーモアばかりでなく、お客本意の対応は「JR一番」ではないでしょうか。それにしても「日本海の函館再延伸」。「新幹線札幌延伸」よりも復活してほしいものであります。

 >先生だけは梅小路機関車館?
  高校時代の「修学旅行」のグループ研修で訪問し、「スワローエンゼル」に感動しました。引率では訪問の経験はなく、「交通科学館」に3度ほどお邪魔致しました(グループ研修の連絡・待機場所としてです)。小生の個人的な趣味では「神戸」が好みで、「異人館」や「南京町」によくお伺いしました。平成8年の際は、「鉄」教師ということで「原爆ドーム」見学を希望した「グループ」を「広島」まで引率。待機時間には「113系」で昼間の「セノハチ」を訪れることができました。

 やみのまろさま
 初めまして。「ED76109」であります。産は「東京」なのですが、現在「札幌市内の高校」に勤務しております。「出水」に伯母が在していたことから、幼い頃から「はやぶさ」や「霧島(桜島)」に親しむことができ、「鉄」親父の薫陶を受けて「戯言」を好き勝手に述べさせていただいている「中年客車鉄ちゃん」であります。どうぞ、宜しくお願い致します。

 長々と失礼致しました。以上、今年度の「修学旅行」で、またまた「大阪環状線外回り」で「USJ」へ向かった生徒たちに「古典」を教える「中年客車鉄ちゃん」でありました。
 

更に田町の今後

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月10日(火)09時40分29秒
  ▼客車様:
> 田町地区の陸側を再開発用地にしてビル用地を生み出す。

成る程、再開発地を新幹線と在来線で挟むより、余程合理的ですね。田町駅の南側の
曲線で錯覚しがちですが、新幹線側に集約したほうが、僅かに距離が短く済む様です。

> 田町〜品川間に山手線の新駅を設置。

山手・京浜東北線も移設となると、京浜東北線(北行)が山手線を跨ぐ箇所と、新駅
設置の整合性をどう取るかが注目されますね。いっそ、件の交差箇所を品川駅南側に
移設できれば、品川駅でも方向別複々線が確保出来て(その場合、日中の京浜東北線
快速は田町通過扱い?)利便性が増しますが、掘割気味の区間に、京急本線や道路の
陸橋が相次ぐ事を考えると、これも妄想の域を出ませんね(^^)

何れにしても、基地機能の相当部分が尾久に移るでしょうから、車両の動力分散化で
捻出できる客車用の側線スペースは、田町管轄分への転用で、差引丁度という事には
ならないでしょうか。それなら赤まんと様が仰る「有効利用」を講じずに済みますし、
そもそも、上中里が近いとは云え、緩行路線網から「孤立」した尾久に、品川界隈に
相当する様な商業集積性は期待すべきではないと、元北区民としては感じるのでした。
 

団臨「はくつる」について

 投稿者:くらやみのまろ  投稿日:2009年11月 9日(月)22時42分24秒
  赤まんと様
ED76109様
少々説明不足でしたので、団臨「はくつる」についての「えきねっと」のページのアドレス(PDFファイル)を載せておきます。
 えきねっと(JR東日本) びゅう 「はくつる」「北海」で行く北海道への旅
 http://jreast.eki-net.com/oshirase/pdf/hakutsuru.pdf

最近の青森と尾久の予備車がどれだけ残っているのかは存じなかったのですが、そこまで減ってしまっていたとは驚きです。
やはり今回の「はくつる」は予備車をかき集めて編成されたものだったのですね。
できることなら、このような臨時列車を運用できる両数を、今後も維持してもらえたらありがたいのですが…。
そんな中で、尾久の定期運用なし24系が、きちんと手入れされているというのは幸いです。
また、今回の「はくつる」の各車の番号を知りたいと思っていましたが、結果的に赤まんと様の記録のおかげで知ることができまして、感謝いたします。
 

「ゆのくに」のオハ31

 投稿者:くらやみのまろ  投稿日:2009年11月 9日(月)22時12分33秒
  マロネロ38様
ご回答ありがとうございます。
「ゆのくに」でのオハ31とスハ44の混結は不明だとしても、オハ31が戦後の準急で使用されたのを目撃されていたのは貴重な記録と感じます。
個人的には、鋼体化ハザが定期急行で使用されたことがあったのは雑誌などの記録で知っていましたが、オハ31の戦後の優等列車での使用となると初耳でしたので…。
それにしても、現在では考えられないような、広域での客車の借用には改めて驚かされると共に、興味深く感じられます。
 

復活運転していたとは・・・

 投稿者:赤まんと  投稿日:2009年11月 9日(月)19時50分24秒
  くらやみのまろ様。
貴重な情報ありがとうございました。団臨で復活運転が計画されていたとは、知りませんでした。青森配置車両数を考えますと、予備車をかき集めてもこの6両あたりが限界でしょう。
訓練運転に供されている尾久の金帯を借りても、10両がやっとで、改めて客車が最低両数を残すまで淘汰されてしまった現実に、愕然とします。
そんな中、尾久の定期運用なしの24系は、野ざらし日ざらしで放置などという無責任な真似はしておらず、きちんと洗浄線で手入れがされています。
また、オハネ25 238は4月に6年ぶりの全検出場を果たしました。前回6年前の全検のオハネ25 231も状態は良好。2006年全検のオハ25 503は屋根にややサビ色が出始めましたが、まずまず。遊ばせておくにはもったいなく、復活列車や企画列車に使えないものかと、惜しい気持ちです。
 

Re田町の今後

 投稿者:客車  投稿日:2009年11月 9日(月)19時45分16秒
  田町地区再開発は4,5年前から以下のように聞いています。

目的・・田町地区の陸側を再開発用地にしてビル用地を生み出す。
その為、田町〜品川間に山手線の新駅を設置。
東海道線〜山手線まで線路を全て海側へ集結。
支障する田町地区車庫は廃止し、東京〜上野に急勾配で新幹線上部に在来線複線を復活させ、東海道線は東京駅をスルー運転として替わりの車庫を大宮あたりに設ける。
車庫を廃止して、事業で大金をつかむのは何処なのでしょうね。
JR東は土地売却代金で線路移設工事をするとか。
 

田町の今後

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月 9日(月)11時22分27秒
  ▼ED76 109様:
> 昭和の時代は、本当に「過去」となってしまったのですね。

上下線の間に車両基地が割って入る構造(外側線を往来する列車への干渉を最小限に
抑える意味で、幾何学的に最も合理的な形態と感じます)は、我が地元の常磐線でも、
我孫子、土浦、内原で見られますが、車両の陣容や規模において旧東京機関区を含む
田町の基地は、やはり圧倒的な存在感がありましたね。

線路の撤去具合から、東海道下り線を西側に移設して、空いた東側を再開発に充てる
構図が窺えますが、新幹線は現行の侭として、開発地と高輪、港南の双方の地区との
道路接続をどの様にするのかも、興味深い処です。

新幹線の車両基地引込線に並行する東海道貨物線も、東京貨物ターミナル〜浜松町の
いわゆる「大汐線」では近年、列車の運行実績を耳にせず、直ちに上記再開発に絡む
話ではありませんが、こちらも、趨勢が気になります。逆に、羽田空港ハブ化構想の
進捗次第では、旅客化構想もあり得るかも知れず、浜松町から地下に潜らせ、新橋で
横須賀〜総武快速線に繋げば、羽田〜成田の連絡体制強化にも繋がるか………などと、
根拠の無い想像(妄想)ばかりが膨らむ昨今です(^^)
 

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