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ブルートレイン

 投稿者:XD1 at Phuket  投稿日:2009年 7月 4日(土)17時32分45秒
   レスありがとうございます。少しでもお役にたてば幸いです。

 実は一番言いたいのは、タイ、マレー方面の鉄道の旅は、さほど難しくないということだったりしますが。数人のグループで、現地の日本語ガイドを手配しておくという手もありますし。


・ 急行と快速と言う違いがありますが、実態としてはほとんど違いのないような印象です。1等車が連結されているか否か、でしょうか。実際には時刻表よりも1時間近く余計にかかります。

・ 渡タイ後の年数に違いがあるかもしれません。ただ、前にもお書きしましたように、日本式の型式、番号のペイントが塗りつぶされていたので、、、、。番号が分れば、どこかの資料から照合可能かもしれませんけど。

・ 座席、寝台は、改造していないものと思います。2段が向かい合わせ、合計4人分で1つの区画という形態でした。

・ 確かに、低いホームからの階段になります。私個人は、小さなリュックだけでしたし、古くからの車両に乗ったこともあるので、しんどいとは思いませんでした。荷物が多いと、しんどいかもしれません。ステップの部分の写真をUPします。

・ 整備/メンテは、一部には、うーーーん、及ばぬ点もあります。

・ WCですが、日本製ではない車両で、まだまだ穴から線路の敷石が見えるの、あります。

・ タイの北のラオスの首都との間に、国際列車が通ったそうです。まだ行っていませんが。これで、ラオス〜タイ〜マレーシア〜シンガポールを鉄道で横断できることになりました。


 後ほど、乗車体験記と合わせてBangkok駅、車内の写真なども、UPしたいと思います。
 

「あさひ」連絡新潟−北鮮線

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2009年 7月 4日(土)16時07分4秒
  ED76109先生:
確認しましたが,矢張り大阪商船系列の北日本汽船,後の日本海汽船です。
「白山丸」だけが引き揚げて再生し、戦後沖縄航路に入っていました。神戸港で
撮影しています。寒地航路用船を南方に向けたので「船室が暑い」とクレームが
多かったと聞いています。
他に東京→米原(マイロネフ37)を急行併結で敦賀港までの列車が、Vladivostok
航路連絡日だけ運転されて居たのが有名です。(出航前夜東京発の急行に併結)
直航ではなく清津−羅津−浦塩だったので、北鮮地区と満洲の東部、牡丹江や
ジャムス、東寧辺りとの軍事目的が強い連絡航路だった様です。
 

鉄路の夢は永遠なり

 投稿者:ED76109  投稿日:2009年 7月 4日(土)11時46分18秒
   おはようございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「ひかり」のハルビン行

  補足いただきありがとうございます。「あじあ」号にしろ「ひかり」号にしろ、「新京」から後年「ハルピン」まで延長されて、南満州鉄道の鉄路を彩った名列車であります。
  実は、高校時代の「日本史」の担任教諭の方が少々ユニークな方で、「南満州鉄道」についての研究をライフワークにされており、「シベリア鉄道」や「亜欧連絡」の知識も豊富な方でした。小生も多少影響を受けて、中国の鉄道やシベリア鉄道に関心を抱くようになりました。

 >新潟から「あさひ」と羅津連絡は北日本汽船ですね

  残念ながら、そこまでは確認しておりません。しかし、「上越線の急行列車」が大陸への連絡の一翼を担っていたことは、今回初めて「鉄」勉強の中で知り得ることができました。「ループ線」を通り、大陸への夢を抱いて旅だった方々がいらっしゃったことに小生感動を覚えた次第であります。
  しかし、「樺太の鉄道」についての記述で前述しておりますが、不幸な歴史の中で異国の地で亡くなった同胞の方々には胸が痛みます。将来、「国際列車」が真の「世界平和」に寄与できるように、小生強く切望するところであります。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。
 

タイ国の鉄道

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2009年 7月 4日(土)10時23分33秒
  圧倒的にPCが多いですが、ローカルにはDCも走っています。
昭和57年にバンコクまで出張で行きましたが,ホテル近くのパヤタイ路に
東部と東南部へ行く線路が「単線並行式」で走っていて、東部行きの方に
キハ35のステンレス車体DCx2連が走っていて、撮影しましたが明らかに
車体も台車も日本製のDCでした。
東南部行きはDL牽引でしたがこれも写しています。客車は当時種々雑多でした。
帰途大雨の高速道路をタクシーで走っていて、チェンマイからの夜行急行が
線路水没で立ち往生していたのを見ましたが、写せませんでしたけれども
20m車や18m車のこれも雑多な客車の編成で、色もまちまちでした。
当時は「客車トイレの垂れ流し」が問題化していて、英字新聞にステンレス製の
汽車便所の写真が出ていました。
タイ国は1mゲージなので日本の客車は車軸変更だけで使えますね。フイィピン
は1067mmなのでそのまま使用出来ますが、どうも両国とも「メンテが悪い」様
ですので------。
以前国労がDD11を一両ベトナムにプレゼントしましたが、あれなどどうなっている
のでしょうか?
 

Re:日本製ブルートレイン

 投稿者:仙コリ(管理人)  投稿日:2009年 7月 4日(土)00時32分20秒
  XD1 at Phuket様
タイ国鉄における日本製ブルートレインの使用状況レポートありがとうございました。
ネット上でTrang線の時刻を調べてみたところ、2往復とも夜行運転で、急行列車が所要15時間前後
快速列車が所要16時間前後のようですね。

ご乗車になった車両は2等寝台との事ですが、日本時代の開放B寝台(2段式向い合せ)といった
状況のままでの使用状況といった事でしょうか。
洗面所の水が出なかったとの事で、車両の整備状況には多少問題があったようですね。

ところで、ご乗車になった1両だけ塗装の状態が悪かったとのことですが、私の記憶が正しければ
日本からタイ国鉄への車両譲渡は複数回あったと思いますので、その車両だけタイに渡ってからの
年数が経っている可能性があるのかな?とも思われます。

また、隣の銀色の車両はドアがだいぶ低い位置に付いており、手前のホームもだいぶ低いと思われ
るので、日本製車両にはステップが追加されているようですが、乗降車が少し大変そうですね。

また、タイの鉄道事情を書き込んでいただければ幸いです。

http://homepage3.nifty.com/jnrpc/

 

日本の客車、在庫

 投稿者:客車  投稿日:2009年 7月 3日(金)20時16分33秒
  鉄道図書刊行会から発行された、再版が出るとの噂の「日本の客車」が東京は神田の神保町交差点近くの古書店に、本日在庫していました。茶色のケースは付いていましたが、大船付近にて撮影と見られるカバーと透明ビニールカバーは有りません。
¥31,000−也
お知らせです。
 

旧満鉄線-2

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2009年 7月 3日(金)19時20分1秒
  ED76109先生:
「ひかり」のハルビン行は昭和17年11月改正時刻表に出ていますね。まだ「あじあ」が
新京以北スピードダウンして残っていた時代です。
「興亜」は1.2.3等の表記と寝台,食堂の印がありますが------。
新潟から「あさひ」と羅津連絡は北日本汽船ですね?「月山丸」、「白山丸」、
「気比丸」(太平洋戦争直前に旧ソ連が流した浮遊機雷に触雷沈没)---この頃から
スターリンは「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄する気だった様ですね。尼港、
ノモンハン、張鼓峯、と日本と局地戦争が有った後なので-----。
 

もう一つの日本製ブルートレイン

 投稿者:XD1 at Phuket  投稿日:2009年 7月 3日(金)10時28分30秒
   これがTrang線のもう一つの編成です。Bangkokから乗車して、Trangに着いた時に撮影しました。

 こちらには、黄色の帯はありません。ところで3両のブルーの内、手前側の1両、色が微妙に他の2両とは異なり、しかも剥げかけていますね。じつは、この寝台車に乗ったのですが。

 どうしたんでしょう。タイで上塗りをしようとしたものの、やり方が適正ではなかったのか。残念なことです。

 中の廊下、座席、寝台などは、タイのレベルからすると、ちゃんとしていました。ただ、洗面所の水が出ませんでした。WCの個室内は出ましたけど。
 今までの数回の経験では、従来型の銀色の車体では、洗面所の水もちゃんと出ましたけど。

 また、2という数字も見えますが、これは2等車という意味です。今の日本とは違いますが、タイでは1等、2等、3等という等級です。そう、昔は日本でもそうだったんですよね。

 1等は、2人個室のエアコン寝台です。
 3等は、前にUPしたようなエアコンなしの座席。さすがに背に硬くて薄いながらもクッションが付いていいるのもあります。

 2等は、
  リクライニングの座席、エアコンあり/なし
  寝台、エアコンあり/なし
とバラエティーに富んでいます。

 座って寝るには問題ないのですが、整備が行き渡っていない個所が無きにしも非ず、でした。
 

旧満鉄線

 投稿者:マロネロ38  投稿日:2009年 7月 3日(金)10時00分47秒
  ED76109先生:
「ひかり」は(あじあ〕廃止の時にハルビン延長になり、敗戦時まで運転では??
「のぞみ」は最初釜山桟橋−奉天で後新京まで延長だった筈です。
満鉄も日本の鉄道省も当時面白い事をしていましたね。
1レ(富士)−関釜連絡1便−1レ(ひかり),上りが2レ−2便−2レ
*3−4レ(さくら)も連絡していましたが----。
7レ(呉線経由各等急行)−7便−7レ(のぞみ),上りが8レ−8便−8レ
(網干追突事故の急行)、京都−下関間に木造展望車連結。
国際列車+海軍御用達の7−8レは洋食堂車でした。急行で洋食は他に東京−神戸間の
17-18レ1.2等急行でした。〔太平洋戦争直前迄)
私は山陽本線の明石までの沿線に当時住んでいたので、早朝の2レ4レ、昼前通過の
7レ、明石操車場(大アカソ)回送の17レ、「つばめ」、「かもめ」を何時も見てい
ました。
「かもめ」1032レには両親と東京見物で神戸から乗車しましたが、今から思えば
増結8号車のマイネロフ37のロだったのが良い経験でした。
 

夢広がる国際列車

 投稿者:ED76109  投稿日:2009年 7月 3日(金)00時23分2秒
   ルーティンワーク的にお邪魔しております。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「アジア」「はと」「朝日」「ひかり」「のぞみ」「大陸」「興亜」等々

  「釈迦に説法」で失礼致します。(笑)

「朝日」
  戦時中、日本領であった「羅津」(現朝鮮民主主義人民共和国、羅先市)より「新京」(現中華人民共和国東北地方、長春市 旧満州国の首都)の間を運行。なお、「上野」から「上越線の急行列車」及び「航路」が接続し、「東京から新京」の日中連絡輸送の一翼を担っておりました。

「はと」
 南満州鉄道を代表していた優等列車であり、「大連」より「長春」(後の満州国首都新京)間を運行しておりました。

「大陸」
 「釜山」から朝鮮(日本国)・満州(満州国)・華北(中華民国)を経由して「北京」を結んでおり、華北への貴重なルートを確保していました。なお、同列車は南満州鉄道の「あじあ」号と同様の完全に密閉されたスタイルの「一等寝台車」や「展望車」を連結して、37時間30分で走破しておりました。

「興亜」
 「大陸」とは昼夜の運転時間帯を変更したダイヤで「釜山」から「北京」まで運転されておりました。しかし、「大陸」とは車両設備は対照的であり、「一等寝台」や「展望車」が連結された記録はございません。また、この列車は終戦間近の昭和20年8月ころまで運行されておりました。

「ひかり」
 「荷物車」・「三等車」・「三等寝台車」・「食堂車」・「二等寝台車」・「一等寝台展望車」の6両編成で、「釜山」から「奉天」(現中華人民共和国東北地方 瀋陽市)、「新京」(現中華人民共和国東北地方 長春市)を経由して「ハルビン」(現中華人民共和国東北地方  黒竜江省都)間を21時間で結んでいた急行列車であります。また、同区間には急行「のぞみ」も運行されておりました。

 いずれの列車も「亜欧連絡ルートの1つ」として、「シベリア鉄道」との連絡等の一翼を担い、前述しました「東京」から遙か「ロンドン」・「パリ」への当時の「最短ルート」が
確立されていたわけであります。

 長々と失礼致しました。以上、「中国東北部の広大な風景」に遙かなる大陸への憧憬を感じる「中年客車鉄ちゃん」でありました。
 

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